社長のつぶやき

伊勢の神宮

2021.06.16

何が大事かというと、やはり日常のことがとても大事だと思うのです。

何か特別なことをやる時には、みな努力します。

しかし、普通の何でもない時に努力できることがもっと大切です。

それを伝えてくださっているのが伊勢の神宮だと思います。

伊勢では、神主さんが朝早くから起きられて、山に登って水を汲み、そして木で火をおこします。

そして、その火でご飯を炊いて、朝夕、神々様に食べていただくためにお供えをしています。

これを下宮ご鎮座千五百年、毎日やっておられるわけです。

昔と同じ方法で毎日神々様に、「まず最初にできたたてのお食事を」と今もやっておられるのがすごいことだと思うのです。

そういうふうにずっと続いた日常を大事にしながら、喜びながら生きようとし続けてきたのが日本です。

誰が見ていようがいまいが、天照大御神様はじめ神々様がそこにおわしますがごとく、目に見えない世界を日常生活の中で大切にして生きてきたのです。

本当にそのように生きていると、昔から日本にあった「お天道様が見ている」とか、「誰が知らなくても天が知っています」という人間の行動規範の大事な部分を、天の世界が担ってくれているのだとわかってきます。

しかし、そのようなことを日常で感じることもなく、私たちは綺麗ごとを話してしまうものです。

しかし、天の世界は、たとえきれいごとであっても話してから天の道を通るのか、またはその道を通ってから話すしかない気がするのです。

いろいろなことを体験した人は、体験したことを話すようになっているし、綺麗ごとを言った人は、綺麗ごとを言ったにふさわしいところを通らされるのではないかなと、そんなことを強く思います。

歌人西行は伊勢の神宮について、

「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

と詠みました。

天照大御神様がおられる時と同じ日常を続けることで、天照大御神様の思いが時代を超えて伝承されているのです。

ですから、参拝する人は言葉にできなくても感動したり懐かしがったりするのですね。

昔、お茶室でこのような歌を詠んだことがあります。

「神籬(ひもろぎ)を 立てて迎えし 神々と 癒(いや)して和(や)わす 日本の道」

神籬とは榊(さかき)のことです。

私たちの日常の中で、お茶花を飾り、ご先祖様や神々様を迎えて、お茶をたてる人とお客様とで癒されて和む、そんな時間を大切にしていたのが日本の道ですよ、という思いで詠みました。

何気ない日常に天を感じ、まことを尽くすところに感動があるのです。