社長ブログ

「私」が幸せだと思ったら幸せ。

2021.05.05

ダイヤモンドを持ってくることはできます。

金ももってくることはできます。

100人が100人とも、指さして「これは金だ、ダイヤモンドだ」ということはできますが、では「幸せ」というものを持ってくることのできる人はいるでしょうか。

宇宙的な意味で、絶対的な価値を持つものとして、誰もが認める幸せという名の現象、物体は、今も過去も存在していないのです。

では、なぜ幸せという言葉が存在するのでしょうか。

幸せは、「私」にだけ存在するからです。

「私」が幸せだと思ったら幸せ。

隣の人にとってそれが幸せなのではなく、全部「私」がそれを決めるのです。

今、目の前にある現象が来たとする。

この現象について私が、「あ、嫌なことだ、不快なことだ、イライラする」

と思ったとします。

思った瞬間にこれは嫌なこと、不快なことになります。

では、「私」がそう思わなかったら、この現象はただ通り過ぎるだけのこと。

ある現象が次に来たとする。

そのときに「私」が、

「あ、楽しい」

と思ったとします。

その瞬間にこれは楽しいことになります。

「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのことです。

つまり、「私」が全部決めている、ということです。

幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている。

「私」がそう決めなければ、敵も味方も、成功も失敗も、勝ちも負けも、幸も不幸も全部宇宙には存在しないのです。

全部ゼロ現象として存在している。

それをお釈迦様は「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と言ったらしい。

重いとか軽いとか、暑いとか寒いというように色づけして、感想をつけて物事を評価したときに、その現象は実は全部「空」である、ということを後世の人々に伝えたかったらしい。

この一言が伝われば、そしてこの意味がわかると、私たちは悩みや苦しみから100%解放されるはずだった。