私たちは、必要なものは全部、天や神さまから与えられて、本当に幸せの海の中にいるのです。
私たちは未熟なので、「あれが足りない」「これが足りない」と、ずっと言い続けていますが、本当に必要なものは全部与えられている。
有り難くて、有り難くてしようがない状態で生きていることに気が付いてください。
K-1という格闘競技で活躍していたアンディ・フグは、35歳のとき急性白血病で入院をしてから、わずか1週間後に亡くなりました。
どういう理由で何が起きたかわかりませんが、あれだけ体を鍛えていた筋骨隆々の人が、わずか1週間で亡くなることもあるのです。
私たちは、何もしていないのに、体にそういうものを受けないで生きてきました。
なぜ、そのような恵まれた状態なのに、「あれも足りない」「これも足りない」「あれも欲しい」「これも欲しい」と言い続けているのでしょうか。
私たちは、いつ急性白血病になって1週間で死んでもおかしくないのです。
私たちは、人によって違いますが、1日に5時間とか8時間の休息をとります。
それから「週休が欲しい」「月の休みが欲しい」「年の休みが欲しい」と言います。
でも、人間の臓器は、全然お休みをしていません。
もちろん、夜も寝ていません。
土曜日になったらお休みする、日曜日になたらお休みするということがない。
月に1回や2回休ませろ、というのもありません。
私たちは、この心臓や膵臓や肝臓や腎臓に対して感謝することもなく、「自分の欲しいものが手に入らないんだ」「あれをどうしても手に入れたい」というようなことばかりを言っています。
しかし、どうして今こうやって笑顔で生きていられる私、そして私のすべての臓器や細胞に対して感謝の心を持たないのでしょうか。
これは臓器だけではありません。
「私」が今、笑顔で生きていられるということは、すべてありとあらゆる存在の人から、「為し合わせ」としていただいているのです。(「為し合わせ」とは、お互いにしてあげることで、「幸せ」という言葉の語源です。)
私たちは、心臓や肝臓や膵臓からたくさんのことをしていただいているにもかかわらず、お礼を言ったことはないと思います。
このような存在にもお礼を言ってみてはいかがでしょうか。
たとえば、右手で心臓に手を当てて、「愛しています。ありがとう」と言ってみてください。
それだけで心臓は、ものすごくやる気になることでしょう。
私は、人が死んだ話や悲惨と言われるような事故にあったことを聞いたときに、「そんなひどいことがあるじゃないか」と指をさすことはしません。
「私」がその事件によって教えらえることは、すべての存在に「ありがとうございます」と手を合わせることだと思います。
自分がいかに恵まれているか。
そういうことに巻き込まれないで笑顔で生きていられる「私」がどれほど幸せであるか、ということに気が付いた方がいいと思います。
幸せの本質というのは、していだいていることに対して、「私」もお返しをして、喜びがキャッチボールされること。
それが幸せという言葉の意味です。