小林正観さんの言葉より…
相談される人に重要なことですが、すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。
私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。
皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。
仏教には、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)があります。
大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、困っている人、苦しんでいる人を救済して、たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。
一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、自分が悟ればそれでよし、と考えます。
タイ、ビルマ、インドは、小乗仏教の国で、もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。
大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、私たちは目の前に問題を抱えた人がいたり、辛そうな人が現れると「解決してあげなくっちゃ」と思い込むようになってしまったようです。
こうした傾向は、人生相談を受けるとき、確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外のことで悩んでいます。
自分がこういう状態で困っている、というのは100人に2人ぐらいで、あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」という、自分の外側にいる人の悩みや苦しみや社会の矛盾を、あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。
その人たちのことを心配する結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。
基本的なことを言いますと、私たちができるのは、まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。
その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前です。
「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。
しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。
まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。
それが、私の言う“実践”です。
この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。
小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。
私は、小乗仏教的に生きています。
だから、ものすごく楽に生きています。
自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。
ただ《実践的に生きる》ようになっただけです。
あなたが、笑顔の素敵な《太陽さん》になって、ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。
そいう溶かし方を取り入れることにしませんか。 【小林正観】