2021年のNHK大河ドラマに続き、2024年からは「新一万円札の顔」として登場する渋沢栄一。
なぜ今、これほどまでに渋沢栄一が注目され、世間から求められるのでしょうか。
これは単なる偶然ではありません。
渋沢栄一の人生をひもといてみると、驚くほど現代を生きる私たちと共通点が多い、しがたって学ぶべき点が多いことに気づきます。
一つ目は「大転換期を生きている」という点。
今、世界が大きな転換期を迎えていることは疑いようがありません。
渋沢が生まれたのは1840年。
1840年はアヘン戦争が起こり、欧米列強のアジア支配が本格化した象徴的な年。
渋沢が13歳になった1853年にはペリーが来航し、1858年(渋沢18歳)には日米修好通商条約が締結。
幕末激動の時代に少年期、青年期を過ごした渋沢は28歳(1868年)のとき明治維新を迎えます。
文字通り「大転換期」の真っただ中を渋沢は生き抜いていきます。
二つ目の共通点は「人生100年時代」です。
渋沢が亡くなったのは1931年。
91歳の大往生でした。
ここでのキーワードは「身分を変えながら生きる」。
今の言葉に置き換えるなら「キャリアチェンジ」です。
農家に生まれた渋沢は24歳のとき、一橋慶信(よしのぶ)に仕えます。
すなわち農民から武士になったのです。
江戸時代は武士ですが、明治になれば、そのまま役人として政治や行政の世界で生きていきます。
その後、役人として一生を送るのかと思えば、33歳のとき、当時勤めていた大蔵省をあっさり辞めて、第一国立銀行(現・みずほ銀行)を設立。
35歳には頭取になります。
役人を辞め、経済・実業の世界で商人として生きることを決めた渋沢は、約500とも言われる企業・団体の設立に関わり、日本の経済、ひいては資本主義の礎(いしずえ)を築いていきます。
69歳になった渋沢は第一銀行以外のほとんどの役職を辞し、76歳には最後に残った第一銀行の頭取も辞め、実業界から引退します。
それで渋沢の生涯が終わると思ったら大間違い。
60歳を過ぎた頃から渋沢は民間外交に力をいれていきます。
経済を発展させるには、国レベルの外交のみならず、民間レベルの外交が不可欠。
そう考えた渋沢は、人生の最晩年に民間外交へと自らの情熱を傾けていきます。
三つ目の共通点は「ビジネスに徳が求められる」という点です。
今、多くの経営者、とりわけシリコンバレーのCEOたちは、「virtue(徳)」が必要だと口にします。
企業や経営者の「徳」こそが、ビジネスの成否を分ける大きな要因となる。
今や、SNSを使って国の代表までが直接メッセージを発する世の中。
どんな立場、どんな身分にいる人でも、世界のリーダー、名だたるビジネスパーソンに直接つながり、その人たちの「生の声」に触れることができます。
そうしたリーダーたちの発言や振る舞いは一気に世界中に拡散され、地球環境に対する考え方、企業のあり方や精神、顧客やユーザーに対する心配りなど、あらゆる側面を世界中が注目しています。
そんなガラス張りで、一気に情報が伝達する世の中にあって、人として、あるいは企業としての「徳」がなければ、瞬くまにバッシングされ、炎上し、不買運動が広がり、経営自体に大きなダメージを与えます。
そんな現代をまるで予見するかのように、渋沢は『論語と算盤(そろばん)』という著作を残しています。