2021.03.04
坂村真民さんは、1909年熊本県に生まれました。
8歳のときに小学校の校長であった父親を亡くし、失意と貧乏のどん底生活に陥ります。
広い庭をもった屋敷から一家6人は、村はずれの小さな藁(わら)小屋の家に移り住むようになります。
家は雨が降れば、6人が寝る場所もないほど雨漏りがひどい有様。
履く物は自分でつくり、生きていくために母親の内職を手伝うという貧乏生活でした。
真民さんは5人兄弟の長男として、母親を助け、弟妹たちの世話もし、幾多の困難を乗り越えていきます。
そんな困窮する生活のなかでも、真民さんが望むように、母親は中学、さらにはその上の学校に進ませてくれました。
真民さんは、国語教師をしながら詩作を続け、多くの人に愛される詩をたくさん残しました。
次の詩は、真民さんが40歳を越え、身体を病み、失明しかかっているときに生まれたものです。
苦労に苦労を重ね、愛情深く育ててくれた母親の生きる姿が、生きる原点となっています。
《念ずれば花ひらく》
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
この詩は、これまで多くの人を慰め、励まし、勇気づけてきました。
ある親子はこの詩で、もう一度生きる決意をしたそうです。
その母親は、真民さんの詩が好きでよく子どもに読んできかせていました。
ところが、ある日、生活が苦しく将来への希望をなくし、子どもをつれて死のうとしました。
まさにその時、子どもが覚えていたのでしょう、
「念ずれば花ひらく」
というこの詩の一節を、独り言のようにつぶやいたのだそうです。
母親は、ハッとして死ぬことを思いとどまったというのです。
真民さんは2006年に97歳で永眠されました。
「念ずれば花開く」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられているそうです。
自分の願いを言葉にすると、夢や目標が明確になります。
すると気持ちが明るくなり、力もわいてきます。
希望が生まれ、もう少しがんばろうという意欲がでます。
そうして、ひとつひとつ行動していくと、ひとつひとつ願いがかなっていくのです。