「努力」という言葉があります。
日本人らしい美徳を感じられる言葉です。
私はこの「努力」という言葉について、ひとつの見解があります。
「努力」という言葉は見方を変えると、「己の能力しか信じない」という一面もあるのではないでしょうか。
もしあなたが、「己の人生をつくっているのは、自分の能力だ」と断言するのだとしたら、それは自惚(うぬぼ)れ、驕(おご)り、高ぶり、傲慢でしょう。
その「努力」とは「不満な自分」を穴埋めする「エゴイズム」のことです。
はたして人は、「努力」するために生まれてきたのでしょうか。
私はそうは思いません。
どうやら、人は「喜ばれる」ために生まれてきたらしい。
ひとりで生きているときは「人」ですが、「人の間」に生きる人のことを「人間」といいます。
人の間で生き、頼まれごとをやっていく。
それが「人間」として生きる本質です。
ここで少し考えてみましょう。
「努力」の反対語は何でしょうか。
学校教育では、その答えは「怠惰(たいだ)」と習い、教え込まれます。
ですが、それは天上界から見ると本質ではありません。
もうひとつ上の次元から見ると、「努力」の反対語は、「感謝」。
ここでいう「感謝」とは、「自分で自分の人生を成り立たせているわけではない。まわりの人によって生かされている」ということに気がつくことです。
「努力」とは、自分の力しか信じないこと。
すべてのことは自分の能力、自分の力で切り抜けられると信じていることをさします。
一方、「感謝」は、自分の力はどこにもないということを思い知ること、思い定めることを言うらしい。
自分の「努力」で世の中やまわりの環境が成り立っているわけではないと悟ることです。
水一杯飲むことですら、私たちはひとりの力では決してやれない。
容器をつくった人がいて、飲み水を用意してくれた人がいて初めて飲めるのです。
もっと言えば、水は大地からのいただきものです。
自分の力で成り立っているものは何ひとつないと悟ることができれば、「努力」の反対語は「感謝」だとわかります。
仮に、自分のことだけに一生懸命になって、己の能力を信じて「努力」を積み重ねる人の力量を「1」としましょう。
その一方で、100人に向かって「ありがとう」と手を合わせている人の力量はどうなるでしょうか。
100人に「ありがとう」を伝えた人には「ありがとう」を言われた人がすべて味方になってくれるので、その力量は「100」になるのです。
それが「宇宙の法則」です。 小林正観