2021.02.14
2009年に「田野屋塩二郎」の屋号を掲げて塩をつくり始めた佐藤京二郎さんは、それまで誰も手掛けたことがない「注文に応じて、味や結晶の大きさを変えるような塩のつくり分け」に挑んだ。
それが国内外の料理人に広まるとすぐに引っ張りだこになり、ウェイティングリストができる職人になった。
最初は『フランスのお高いレストランからの依頼でしたね。
一年間、トリュフを海水につけて、トリュフの出汁をとるんです。
海水は蒸発していくんで、つぎ足し、つぎ足しで。
その出汁で塩をつくりました。
塩全体がトリュフの味になるということではなくて、塩の結晶のなかにトリュフの風味を取り込むんです。
料理人の求めに応じて、ここまで自在に塩をつくることができる職人は他にいない。
佐藤さんの存在はあっという間に知れ渡り、国内外から注文が届くようになった。
難しい依頼があればあるほど燃えるタイプで、相手が本気だとわかればどんな注文も断らなかった。
その結果、飲食店からのオーダーが全体の9割超を占めるようになり、売り上げは右肩上がりで伸びていった。
今ではビニールハウスが4棟になり、200弱の木箱で常時100種類以上の塩がつくられている。
木箱は常に埋まっていて、ひとつの塩が出荷されると、ウエイティングリストの1番目の塩づくりが始まる。
その注文が途切れることはない。』
ビニールハウスのなかには、長方形の木箱がずらっと並んでいる。
その木箱には海水が入っていて、たくさんのアーモンドが浮かんでいたり、藁(わら)が敷き詰められていたり、カニの甲羅が沈んでいるものもある。
これらは天日と風に晒されて、「塩」になる。
これまでに佐藤さんがつくった最高値の塩は、1キロ100万円。
「ひとりの強い想いは、不可能を可能にする」
例を挙げてみましょう。
チーズ職人の柴田千代さんは自分の工房を持っているが、営業日は月に1日。
定休日ではなく、営業日である。
彼女は開業から3年で、女性職人として史上初めて日本一になった。
ジェラートの職人、大澤英里子さんは、故郷の鳴子温泉郷でジェラートのお店を開こうとした。
銀行に融資を申し込みに行ったら、「鳴子ってすごい雪が降るでしょ。そんな雪の降るところでジェラートですか?」と鼻で笑われた。
その後、彼女はジェラート界で知らぬ人のいない存在になっている。』