社長ブログ

『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』

2021.01.10

皆さんは「ブルシット・ジョブ」という言葉をご存知でしょうか。

2020年9月に滞在先のイタリアで急逝した、世界的に著名な文化人類学者デヴィッド・グレーバーが、その著書『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)で論じたものです。

この論文では、1930年にジョン・メイナード・ケインズの「20世紀末までには、英米のような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう」という予測から問いかけが始まっています。

この予測がもちろん大きく外れたことは周知のとおりです。

それはグレーバーにとっても同様の疑問で、テクノロジーは、逆に私たちをよりいっそう働かせるために、活用されてきたのではないかと言っています。

もちろん、テクノロジーの進歩により、それまで3日かかっていた仕事の工程が、3時間ほどに短縮した例もあるでしょう。

しかし、そのぶん仕事が減るのではなく、むしろ増えている。

それは、つまり、本来は不必要な仕事、実際には無意味な仕事が作り出されているためではないか、と言うのです。

テクノロジーの進展とともに生産に直接携わるような仕事は減ったけれども、「管理部門の膨張」が起きているのが、現代だというわけです。

グレーバーはそうした仕事の多くを、「ブルシット・ジョブ」と名づけました。

それは、本来は不必要な仕事なのです。

より効率化を進めれば、本来、そこまで増える必要がなかった仕事です。

別の例を挙げてみましょう。

自由経済に基づいたグローバル化が進めば進むほど、特許など知的財産権を守るための制度作りが必要となり、手続きはより増え続けます。

結果、書類作成が仕事の大半を占めて、イノベ―ティヴな仕事は減少していき、あたかも「官僚制」に代表されるような非効率な状態が、新自由主義下で広がっているのではないか、と言うのです。

彼はそれを「全面的官僚制の時代」と呼びました。

最近では、河野太郎氏が行政改革・国家公務員制度担当大臣に就任して以来、率先して承認印の廃止や書類の廃止を進めていますが、それだけ私たちの仕事はいつのまにか、本来は不必要であった書類仕事に追われてしまっているということでしょう。

しかし、自由経済に基づいて規制緩和をしたら逆に規制が広がる、というのはたいへんユニークな主張です。

私が実際に体験したことから言えば、少し文脈は異なりますが、国土交通省におけるタクシー業界の審議会に委員として参加した際に、こんなことがありました。

そのときの議題はまさに規制緩和です。

その頃、利用者が望む最もよいかたちで規制緩和を実施していました。

具体的に言えば、1日の台数制限などが取り決められていたのですが、それらをすべて撤廃しました。

これによって競争が促進され、業界全体が活性化するかと思いきや、タクシー業界からは逆に規制を強化してほしいと申し入れがあったのです。

いったいなにが起こったのかというと、規制緩和したことによって、他業種で失業した人が、みんなタクシー運転手を始めるようになったのです。

そうすると元からの運転手が失業することになってしまいました。

潜在的なパイ(乗客)は変わらないところに、タクシー(運転手)だけが増えたという状態で、余ってしまったのです。

普通は競争が激化すると価格を下げるという方向に進みますが、それだとタクシー業界全体が成り立たなくなります。

結果、タクシーの初乗り価格を上げることになってしまいました。

競争が活性化されることで、価格が下がり、消費者にとってもうれしい。

だから規制緩和は意味があるのですが、タクシー業界における規制緩和は、運転手は仕事にあぶれて失業するわ、給料はカットされるわ、あろうことか消費者にとってはマイナスである値上げをするまでになった。

また、別の例として、グレーバーはフランスのマルセイユ近郊にある製茶工場で起こったことを紹介しています。

経験豊富な工場の労働者たちは、ティーバッグをパッケージする作業をより効率的に行うために、巨大機械の効率性改善に取り組んでいました。

その結果、生産高は向上して、利潤も上昇したそうです。

しかし、そうして得た余剰金を、工場の経営者たちはどのように活用したのか。

生産性が向上したことの報酬として、労働者の賃金を上げたのか。

また、1人あたりの労働時間を減らすようにしたのか。

ケインズの予測に基づくなら、そうすべきなのです。

けれども、そうはしなかった。

経営者たちが行ったのは、中間管理職を設けて、新たに雇用しただけでした。

その工場には、もともと2人の管理職がいただけでした。

それで回っており、十分な利潤を上げることにも成功したのです。

しかし、利益が上がれば上がるほど、スーツを着た人間が増えていったそうです。

やがてこうした管理職の人間は、数十名に膨れ上がり、彼らは、労働者を監視するために工場を歩き回って、評価基準を作ったり、計画書や報告書を作ったりと書類仕事に従事しました。

こうした仕事は、管理職がなければ本来はやる必要もなかった仕事です。

結果、こうした管理職の人間たちが出したアイディアは、工場を海外に移転させることでした。

グレーバーはその工場を案内してくれた人物の感想として、「なぜそうなったか。たぶんプランをひねりださないと自分たちの存在理由がなくなるからだろうという推測を紹介しています。

まさに、管理職が「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」であるその一例、と言えるかもしれません。

この場合、雇われた管理職の人たちは、現場を分析し評価しただけで、なにも生み出さなかったとおそらく、グレーバーは言いたいのだと思います。