「頭のよさ」ってなんだろう
2021.01.09
学校生活を軸にした毎日を送るきみたちは、テストの点数だとか成績だとか偏差値というもので評価され、判定されています。
目に見える数字のかたちで、突きつけられている。
だから、「勉強ができる、できない」が、頭のよさを測る絶対的な「ものさし」であるかのように思えます。
だけど、じつはそうじゃないんです。
学生という立場が終わって社会人になると、頭のよさを測るものさしが、突然変わります。
「勉強ができる」ことから、「社会に適応できること」に切り替わるんです。
ぼくは、勉強ができるのはいいことだと思っています。
できないよりは、できたほうがいい。
だけど、勉強ができれば社会に出てからも「頭のいい人」としてやっていけるかと言うと、そうとは限りません。
社会に適応できなければダメなんです。
たとえば、一流大学を出て就職したけれど、まわりの人とうまくコミュニケーションがとれない人がいます。
いま何をすることが求められているのかもピンときていない。
こういう人は、
「勉強はたくさんしてきたかもしれないけれど、使えないやつだ」
と言われてしまいます。
それまでずっと「勉強ができる」「頭がいいね」「すごいね」とほめられつづけてきたのが、社会に出たとたん、一気に地に落とされる。
プライドがズタズタになってしまいます。
あるいは、すごい学歴をもち、社会的に高い地位についていながら、法を犯してしまうような人もいます。
ときどきニュースになりますよね、「自分さえよければいい」という気持ちで、社会のルールに反することを平然とやってしまう人。
どんなに勉強のできた秀才でも、人としてやっていいことといけないことの判断がつかないのは、本質的なところで頭がよくない、と言わざるを得ません。
一方、学校の勉強がきらいで成績もよくなかったけれど、大人になってから社会で大活躍したり、大成功したりしている人も、世の中にはたくさんいます。
大人になっていきなり才能が開花したのでしょうか。
いいえ、おそらくそういう人は、子ども時代から、テストの点数とか学校の成績とかでは測れない種類の頭のよさをもっていたんです。
新しいものを生み出す発想力とか、人を喜ばせたりやる気にさせたりするすぐれたコミュニケーション力とか、そういうものは学校のテストではわかりません。
こういう人たちの発揮する頭のよさというのは、言ってみれば「社会のなかで、いかによく生きるか」というものなんです。
勉強ができる、成績がいいということは、ある一面ではたしかに「頭がいい」のです。
だけど、きみたちが思っているほど絶対的なものじゃないんです。
学校を出てからの人生で求められる頭のよさとは、「社会的適応性」の高さです。
いまは寿命が延びていますから、50年、60年と「大人の頭のよさ」が求められます。
人生でずっと求められつづける頭のよさとは、社会にどう適応できるか、という力なんです。
だからといって、「勉強なんかしなくてもいい」ということでありません。
勉強は、頭の基礎トレーニングなんです。
勉強ができる環境にあるときは、勉強しておいたほうがいいんです。
勉強を甘く見ると、その後の人生が大変になります。
これは大人として口を酸っぱくして言っておきたいことです。
『本当の「頭のよさ」ってなんだろう?: 勉強と人生に役立つ、一生使える ものの考え方』誠文堂新光社より

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