2020.12.30
『江戸時代末期の僧侶・良寛和尚は、いつも「和顔(わがん・わげん)」ということを心がけていた人でした。
「和顔」という言葉はもともと「禅」の言葉なので、禅宗のひとつである曹洞宗のお坊さんとしては当然のことかもしれません。
しかし、それを何よりも誰よりも心がけていたのが良寛禅師だったのです。
良寛さんはいつも和(なご)やかな顔をしていました。
その顔に子どもたちはとても親しみを覚え、良寛さんの顔を見る度に寄ってきては、「良寛さん、良寛さん、遊ぼう」と言って声をかけたそうです。
さらにその「和顔」は村人たちをも動かします。
文字のかけない村人たちは良寛さんのところに行っては、「代わりに手紙を書いてほしい」「代わりに文字を書いてほしい」というようなお願いごとをしました。
良寛さんはそれを嫌がらずに次から次へと書いたのです。
なかには「掛け軸を書いてほしい」と言う人もいましたが、それも嫌がらずに書きました。
良寛さんは檀家(だんか)を持っていない僧侶だったのですが、そういった「頼まれごと」の対価として、米、味噌、醤油、食べ物をいただき生活が成り立っていました。
「頼まれごと」を嫌がらずにやっていった結果、十分な生活ができたのでした。』
若い頃から頼まれごとを断り続けてきた人には、頼まれごとはやってこない。
何かを頼んだら、嫌な顔をされたり、不機嫌そうな顔をされたり、不愉快な言葉を言われてしまう、と思うからだ。
また、普段から否定的な言葉ばかり言っている人は、不機嫌そうな顔になる。
それが、「不平不満」「グチ」「泣き言」「悪口」「文句」。
肯定的な言葉ばかり言っている人は、明るくて楽しそうな顔になる。
それが、「ツイてる」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」。
良寛さんの「和(なご)やかな顔」だ。