2020.12.17
この世に生を受けてから人生をおえるまでの期間を、ふつう「寿命」といいます。
しかし、禅(仏教)では違ういい方をします。
「定命(じょうみょう)」です。
命の長さは生まれ落ちたその瞬間から“定められている”と考えるため、そう表現するのです。
もちろん、自分の定命がどのくらいの長さなのかは、誰にもわかりません。
たしかなことは、どんな命にも、必ず、終わりがあるということ。
これは避けようがありません。
では、命は誰のものでしょうか。
「自分の命なのだから、誰のものでもない。自分のものに決まっているじゃないか」
多くの人がそう思っているのではありませんか?
しかし、違うのです。
禅は命をこう考えます。
「仏様(ご先祖様)からの預かりもの」
いま、そこに、自分がいただいている命は、ご両親をはじめ、たくさんのご先祖様が永々(えいえい)と命をつないできてくれた結果としてあるのです。
そのうちのたった一人でも欠けていたら、いまの命はありません。
そのことを思ったら、“命は自分のもの”だなんていえますか?
ご先祖様たちのお陰様によって、いただいている。
ご先祖様からお預かりしている、という受け取り方ができるのではないでしょうか。
お預かりしている命だとしたら、自分勝手に扱うことはできませんね。
他人様(ひとさま)からなにかをお預かりしたら、お返しするまで大切に、扱うはずです。
命も同じ。
定命が尽きてお返しする瞬間まで、大切にしていくのが、当たり前の命との向き合い方でしょう。