小林正観さんの言葉より…
たまたま縁があって、岡山県倉敷市にある円通寺を訪れることになりました。
良寛和尚がこの寺にいたとき、兄弟子に仙桂(せんけい)和尚という方がおられたそうです。
詳しい記録は残っていないのですが、良寛和尚にとって大変に印象的な人物だったようです。
仙桂和尚は30年の間、良寛さんの師匠でもある国仙(こくせん)和尚のもとにいて修行をしていました。
ただ一度もお経を読んだことがなく、檀家の人たちに仏法上のお説教をしたこともないという珍しい僧侶でした。
この仙桂和尚は来る日も来る日も野菜をつくり続け、それを村人たちに配って歩いていたのです。
それだけをやり続けた僧侶でした。
師匠である国仙和尚は、仙桂さんに対し、「もっと違う行いをしなさい」と言うようなこともなく、温かい目で見守っていたようです。
良寛和尚は、この仙桂和尚の生き方にかなり影響を受けたらしいのです。
のちに仙桂和尚のことを書いた記述の中で、「この仙桂和尚こそ、真の道者である」と良寛さんは書き記しています。
ただ、「自分は仙桂和尚とともに過ごしているときに、この人のすごさ、深さがわからなかった。未熟だった」ということも言っているのです。
のちに生まれ故郷の出雲崎に帰った良寛さんは、頼まれれば南無阿弥陀仏の念仏も、南無妙法蓮華経の題目も唱えるという、自在な生き方をした僧侶でした。
良寛さんが学んだ円通寺は曹洞宗(禅宗)のお寺です。
浄土宗の念仏である南無阿弥陀仏、日蓮宗のお題目である南無妙法蓮華経は、本来禅宗とは合致しません。
しかし、良寛さんにとって、そのようなことはどうでもよいことでした。
お経をまったくあげないことも、仏教上の説話や説法をしないことも多々ありました。
このような良寛さんにとって、精神的な師匠というのは、もしかしたら兄弟子である仙桂和尚であったかもしれません。
良寛さんの目に映った仙桂和尚とは、「実践の人」であったということにほかなりません。
ただただ実践の日々であった。
穏やかな人柄で、自分が人の上に立って何か立派なことを言うのではなく、へりくだって、行として野菜をつくり続けている人でした。
否、「行として」ということさえも自覚はしていなかったかもしれません。
自分の生きざまは、ただひたすら野菜をつくり続けることであり、それを村人たちに喜んで食べてもらうことである、というように思い定めていたとしか思えないのです。