2020.10.30
『具体的に言えば、歴史を学ぶことです。
歴史を学びながら、もしその世界に自分が生まれ落ちていたら、この目には何が映るのか、どう行動するか、何を考えるかを意識的に考えるようにすることです。
そこに生きる一人の生身の人間としての自分を考えるのです。
そして、ふとその想像から戻ってきて、この現実の世界を見渡してみたとき、僕らにはあまりにも多くのものが与えられていることに気づくはずです。
これらは生まれる時代が異なっていたら、私のもとへは届かなかった、と。
ある歴史的な出来事には、さまざまな偶然的ファクターが関与しています。
歴史を学ぶというのは、そこに何ら必然性がなかったことを悟るプロセスでもあります。
この世界の壊れやすさ。
この文明の偶然性。
これに気づくために僕らは歴史を学ぶのです。』
今、この時代、この日本に生まれ、この今の年まで生きてこられたというのは、天からの贈与以外の何ものでもない。
そして、年を重ねれば重ねるほど、仕事や家族、友人たちとの出会いは、さまざまな「たまたま」という偶然の積み重ねだったことに気づく。
そのうちの一つでも歯車が欠けたら、今の人生は全く違ったものとなっていたはずだ。
それこそが、ギフトであり贈与。
だからこそ、我々はその受け取ったものを、次に贈与する。
「もらうより、贈る側のほうが時として喜びが大きい」 教育者、哲学研究者、近内悠太氏