秋元康氏は「運」についてこう語っています。
『「天才とは1パーセントの才能と99パーセントの汗である」
といったのは、かのエジソンである。
天才的な発明王・エジソンにして、この言葉だからこそ、含蓄が深い。
自分の発明は、わずか1パーセントの才能に加えて、99パーセントの努力の賜物だと言っているのである。
そこで、僕も考えた。
「成功は98パーセントの運と、1パーセントの才能と、1パーセントの汗なのではないか」と。
世の中には、たとえいま売れていなくても、僕よりももっと才能がある作詞家がいるし、優秀な放送作家もいる。
そんな中で僕がここまでこられたのは、人との「出会い」だったと思うのだ。
どんなビジネスも、結局は人が運んできて、人との出会いのなかで生まれてくるのである。
その人との出合いは、けっして自分ではコントロールできないし、予測できるものでもない。
まして、みずから演出できるものでもない。
出会いがいつ起こるかは、「運」に握られている。
どんな人とめぐり逢うかも「運」によって左右される。
僕は、「運」がこの世を支配しているのではないか、と思うのだ。
ただし、「運」だけに頼っていいわけではない。
「運」だけだと98パーセントで、2パーセント足りないのだ。
その足りない2パーセントを軽んじて失敗する人もいる。
その「運」をさらに確実なものにするには、才能が必要だ。
せっかく「運」がめぐってきても、それに気づかなかったり、ラッキーな方向にみちびく才能がなければ、成功はできない。
たとえ才能があったとしても、その才能に溺れて「天狗」になったり、勉強不足で「井の中の蛙」になったりすれば「運」から見離されてしまう。』
運は人が運んでくるからこそ、自分が思ってもみないことが起こる。
自分の思考の中だけで考えていると、それは想定内に収まるだけなので、なんのサプライズも連鎖も起きない。
自分が考えてもみないことは、実は「あまり気が進まないこと」だったり「面倒に感じること」だったりする。
人から頼まれたことなどは、ほとんどがそうだ。
萩本欽一さんの言葉に、「イヤなほうから幸運の矢が飛んでくる」というものがある。
「嫌だな」と思ったようなことに「運」が隠されている、ということだ。
たとえば、「大失敗をしてしまった、もう終わりだ」などというような時だ。
「運は人が運んでくる」
だからこそ、人との出会いは大事だ。
それも自分の意思とは関係ない出会いに「運」が隠されている。
たまたま人から紹介されたり、偶然出会ったり、何かの役や講師などを頼まれたり…。
それらを、嫌な顔をせず、ニッコリと引き受ける。
そして、感謝の心で人と出会う。