2020.10.21
かなり以前のことだが、その頃売れっ子だったテレビタレントが言った。
「おかげさまでひと月売れっ放しで、休むひまもありません。忙しくて忙しくて…」
得意満面の顔付きだった。
「それはおめでとう。よかったですね。しかし忙しくて休む暇もないのは良くない。
一つは健康を損ねる危険があること。もう一つは次の飛躍への準備ができないということ」
「人間はひと月のうち、働くのはせいぜい20日か25日でいい。
あとの五日なり一週間なりは、運動して身体を鍛えたり、読書して知識を注入したり、人と意見をかわしたり、ぶらりと旅に出て自然の風物に接したりして、何か新しい発想や発見に当てることですね」
「そんな時間はとれそうもないので…」
「自分で作ることですよ。考えるひまもなく働くのはどうかな。
考えるのでも時には時間をさかなくては、昔からいう三上(さんじょう)がある。
馬上、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)です。
厠上はトイレの中、枕上は眠りに入る前のひととき。
馬上のかわりに車の中でもいいでしょう。」
「がむしゃらに働いて疲れ、バタンキューと寝るだけではすり切れるだけ。
売れっ子になればギャラが高くなる。使いにくい。
だからテレビは、後から出てくる別個の才能を持った新人を起用して売り出させる。
ギャラは安くてすむ。
ギャラの高くなった売れっ子は敬遠される。」
「そうならぬために自分をみつめ直し、次にアピールする新鮮な芸を生むためのユトリ、時間を持つことがぜひ必要でしょう。
作家は出世作以上のものはなかなか書けないという。
一つの芸を売り出したものは、それに勝る次の芸の用意がないと、人気は長つづきしないのではないですかね」
売れ盛りの彼にとって少しきついとは思ったが、敢えて発言したが、人は盛りの時には意見が耳に入らぬらしい。
忙しいと言いつづけているうちに、同種の若いタレントに座を譲り、
そのタレントも変わった若手の出現で人気をうばわれてしまい、
数年の後には忠告した彼の姿は完全にテレビから姿を消し、もはや人の記憶の外の人となってしまった。