2020.09.24
『ある女性は、一日の激務を終えて、やっと家に帰った。
すっかり疲れ果てている。
座って新聞を開き、宝くじの当選番号を調べる。
なんと、当選している!
賞金は1千ドルだ!
彼女はどうするか。
大歓声をあげて椅子から飛び上がるに違いない。
エネルギーのかたまりのようになって、彼女は家族や友人に電話をかけ、賞金の使い道を考える。
しかし、ちょっと待ってほしい。
10秒ほど前、この女性は疲れ果てていたはずだ。
それが今では、10代のチアリーダーのように元気だ。
この10秒間に何が起こったのだろうか。
栄養注射でもしてもらったのか。
そうではない。
彼女の変身は極めて精神的なものなのだ!
これは彼女が何に焦点を当てたかという問題なのだ。
疲れていることに焦点を当てることも、その反対に人生が恵まれていることに焦点を当てることもできるのだ。
私たちがどう感じるかは、主観的な問題であることが非常に多い。
「疲れている」と自分に言い聞かせれば、疲れを感じるようになる。
「最高の気分だ」と言い聞かせれば、元気が出てくる。
私たちは自分が考えているような人間になるのだ。』
モノの見方は、すべてどこに焦点を当てるかだ。
小林正観さんは、それを「モノやできごとには色が付いていない」という。
たとえば「病気や事故」であっても、それを「この程度ですんで良かった、ありがたい」と思う人と「ツイていない、最悪だ」という人がいる。
できごとは変わらないのに、どこに焦点を当てるかで、見方はまるっきり違ってしまう。
「調子はどう?」と聞かれたら…
「絶好調!」と答えたいですね。