2020.09.29
他人を批判することは、さほどむずかしくありませんが、自分に対してなされる批判を素直に受け取るということは、必ずしもやさしいことではありません。
それは、批判されるということが、ある意味で「裁かれる」ことであり、往々にして自分が否定される可能性さえ持っているかも知れないからです。
批判する能力は、人間に与えられた特権ですから、これを用いることは時にたいせつなことですが、やはり相手への思いやり、優しさがあってほしいと思います。
「あの人は、正直者だけれど仕事が遅い」
と言うのと、
「あの人は、仕事は遅いけれども正直者だ」
と言うのとでは、同じ人物への批評でも、どこか違っています。
そして、その違いは、批評する側のポイントの置き方から生まれているのです。
つまり、相手の悪いところを強調しようとしているのか、相手の良いところを強調しようとしているのかの違いなのです。
私たちの誰一人として、この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。
ということは、つまり皆、生きることに自信を持っていないのです。
だからこそ、つらいこと、苦しいことの多い人生を生きてゆくためには、「あなたは生きていていいのだ」という、他人からの励ましと優しさが要るのです。
その優しさが、今日も他人から与えられず、かえって冷たい批判しか与えられなかったような時、私はこう言って自分を慰めてやるのです。
「イエスさまでさえ、ひどい批判をいっぱいお受けになったのだから、私がこのように扱われるのは当たり前」と。
そして、「自分は、どんなことがあっても、他人をわざと意地悪く批判するまい」と心に決めると、不思議に心が軽くなるのです。
《お互いにつらいことの多い人生を生きているのだから、相手の悪い点を強調するような言い方はしない。》