二千五百年ほど前の中国は、「春秋戦国時代」でした。
多くの国があり、群雄割拠し、統一されていませんでした。
そこには、たくさんの軍師や思想家、哲学者が生まれましたが、中でも孫子は、現在でも「孫子の兵法」の名でよく知られています。
秀吉や信長、家康にとっても、「孫子の兵法」は、大変良い手本(教科書)であったようです。
最も孫子を尊敬し、その手法を取り入れたのは家康ですが、「孫子の兵法」の根幹をなすものは、次のようなものでした。
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」
百戦して百勝するというのは、一番良い方法とは言えない、ということです。
孫子の言っていた意味は、「なぜ百回も戦うのか」ということでした。
本当に優れた武将というものは、百回も戦わないものだ、ということなのです。
「戦う方法」には四つあるのだそうです。
最良の方法は、「智」によりて勝つ、というもの。
第二は、「威」によりて勝つ、というものです。
第三は、「助」によりて勝つ。
そして最悪の方法は、「武」によりて勝つ、というものです。
つまり、「武力による解決」は、他に採るべき方法がなくなった時、最後に使われる(最悪の)手段だと認識するのが良いらしいのです。
「智によりて勝つ」を、最良の手法として好んで用いたのが家康でした。
「威によりて勝つ」を好んだのは、秀吉でした。
秀吉は、三万の兵がいる城を、十万の大群で囲うなど、特に「水攻め」を好みました。
それによって敵も、味方の兵士も一人も傷つけることなく、勝敗を決してしまう、という戦法が得意でした。
「武によりて勝つ」を好んだのは、信長です。
気に入らなければ、すぐに武力を用い焼き尽くしてしまう、というような解決方法を、とても好みました。
非常に卑近な例で、夜の繁華街を想像してみましょう。
空手が五段、柔道が五段、合気道が五段で合計十五段くらい持っている人がいたとします。
地元の人から、「この辺りをうろつくと、ちょっと怖いおにいさんがいるから危ないよ」と言われても、腕に自信があれば、そのようなことは無視して、平気で入っていくかもしれません。
その反対に、腕に全く覚えのない人というのは、初めから危険になるようなことは避け、その一画には入って行かないのです。
その結果として、腕に覚えのある人と、「怖いおにいさん」と、トラブルがあったとします。
しかし、いくら武術の達人といえども、テレビや映画のように簡単に相手を倒せるというわけにはいきません。
もともと腕に自信がなく、そのようなことを怖いと思う人は、初めから危険を避けるので、トラブルに遭うことは少なくなります。
つまり、「生兵法は大けがのもと」。
なまじ腕に覚えのない方が、争いごとを避けて通ることができる、ということを覚えておいてほしいと思います。
人間社会の中で、なまじ腕に覚えがあったり、なまじ能力があるがゆえに、呼び込まなくてもいいトラブルを招いていることが、実はたくさんあるのではないでしょうか。
自分が強いとか、それを解決する能力がある、と過信することで、本当は避けて通れるものを、逆に呼び込んでしまう、ということがあるように思います。
「孫子の兵法」に言う、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」(最良の選択ではない)というのは、大変深い意味を持っているようです。