斎藤一人さんの『眼力』より…
お年寄りがいっぱい遊びにくる店を作る。
それは、お年寄りがいっぱい遊びにくる電器屋を作る、ということではありません。
あなたが、もし、布団屋をやっているのだとしたら、お年寄りがいっぱい遊びにくる布団屋を作る、ではない。
「一人さん、何をいいたいんですか?」って、布団だったり、電化製品というのは、めったやたらと買い替えるものではないのですね。
そうすると、「めったに買ってくれないから、何をやってもダメなんです」という人がいるのだけれど。
めったに買ってくれないものを売っているのなら、それと一緒に、しょっちゅう買うものも売ったらどうですか?
お年寄りがいっぱい来る店を作るのだから、たとえば、お年寄りが好みそうな食べものを売ったり、洋服を売ったり、赤いちゃんちゃんこが売れるんだとしたら、テレビや洗濯機の隣に、赤いちゃんちゃんこをかけておけばいいのです。
それから、今、お年寄りでも入れる生命保険とかがありますよね。
その代理店になることもできるでしょ。
お年寄りのことを考えて店をやるのだから、お年寄りが喜びそうな商品も置いておく。
これが、商人の眼力です。
ところが、「自分は電器屋だ」と思っている人は、電化製品しか扱わない。
ずぅーっと、電器屋にこだわるのは、お年寄りを喜ばす眼力がないのです。
でも「電器屋」の枠をとっぱらって、お年寄りが喜びそうな商品・サービスを提供するということになってくると、ヘンな話、「観音参りツアーでも作ろう」とかいうアイデアも出てきますよね。
それとね、「おばあちゃんの原宿で」有名な巣鴨の商店街へ行くと、お年寄りの肌着とか、そういうものと一緒に、孫に買ってあげたいようなものも売ってるの。
こういうのが眼力。
来てくれるお年寄りが喜んでくれる店になればいいの。
わかりますか?
先代が電器屋をはじめた頃、ウチは儲かっていた、って。
それも眼力です。
先代に眼力があったんですよね。
だけど、時代は変わったのです。
「ウチは電器屋だから」といっててもいい時代ではなくなってきているのです。
それを見抜くのが眼力。
この眼力以前に、本当は、この世の中に「電器屋は電器屋しかやっちゃいけない」という法律はないのです。
商人なんですよ、あなたは商人なのです。
わかりますか?
これも眼力ですよ。
「自分は商人だ」と思えば、ホントに、なんでも売れるんです。
それで、思わぬ人が、すごいお金持ってるんです。
100万円ぐらいする健康器具をポンと買っちゃうようなお年寄りって、いるんですよ。
実は、お年寄りのなかには、何百万とか何十万もするようなものを買えるぐらい、お金を持っている人がたくさんいるんです。
だけど、必ず人にいうことは「わたしゃ、年金ぐらしだからねぇ」って(笑)。
だから、日本にはお金があるんです。
それも、見抜かないといけない。
いろんなことを見抜く力が必要なんです。
ほとんどの人は、今まで、見抜く、ということをしてこなかったと思います。
テレビを見るとか、新聞を読むというのは、情報を入れているだけです。
情報を入れることも大切だけど、入れるばっかりで見抜くことがなかったら、情報なんかいくらあってもムダ。
それが証拠に、あなた、情報にふり回されてばかりいるでしょ?
だから、その見抜く訓練として、「なぜ、子どものときに郵便貯金させらえたと思いますか?」とか、「なぜ、日本人は英語がしゃべれないんですか?」とか、私はいってたの。
こういうことを知るうちに、だんだん「これはなんだろう」と考えるクセがついて、見抜く力がつきだしてくる。
だから、世間やテレビが、いくら「ヤ〇ダ電機みたいな家電量販店が日の出の勢いで伸びてる」といっても、自分の店が小さいところだからって、ガッガリしちゃいけないよ。
一時、日の出の勢いで銀行も伸びていたんですよね。
だけど、今、銀行は落ち目です。
つぶれちゃった銀行もあるでしょう?
それから、前は、デカイ会社がすっごくよかったけれど、今、人を何人も雇っているところは苦しいんですよ。
要するに、時代はめぐるんだ、っていいたいんですね。
だから、町の電気屋が有利な時代が来るんです。
ただ、そういう時代が来ることは来るのだけれど、経済には「同じ法則は絶対たどらない」という法則があるのです。
だから、昔のまんまのやり方でやってたところが、よくなることはないんです。
わかりますか?
昔のままの町の電器屋がよくなることはないのです。