2020.07.14
小林正観さんの言葉より…
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないという状態を続けていると頼まれごとが来ます。
実は、頼まれごとが来るということはイコール喜ばれる存在であるという意味です。
喜ばれる存在になることが、実は人間がこの世に生命をもらったことの意味です。
この答えを簡単に言ってしまうのでみなさんはあまり重く受け取らないと思いますが、32年間、人間、生命、魂をみつめてきて得た結論です。
人間はなんのためにこの世に生命と肉体をもらってきたのか、生まれてきたのか。
答えは、「喜ばれる存在」になること。
それだけです。
それを哲学的な言葉で言うと、「いかに喜ばれる存在になるか」。
それを庶民的な言葉でいうと、「いかに頼まれやすい人になるか」ということです。
人間は能力を磨く以外の世界を持っています。
この世界では、売り上げ目標、、シェア、売上日本一になるなど、そのようなことばかりを自己啓発セミナーなどで教えていますが、そのことにはなんの意味もありません。
いかに人から頼まれるか、いかに喜ばれる存在になるか、それを「人格の世界」といいます。
売上目標というのは「能力の世界」です。
能力がどんなに高くても人々は喜んではくれない。
でも「人格が高い人イコール頼まれごとがすごく多い人」というのは、実は世の中に喜ばれている。
頼まれごとの多い人、存在が喜ばれている人というのは、クリーニング屋さんをやればお客さんが来るし、喫茶店をやったらお客さんが来ます。
しかし、能力の高い人は必ずしもそうではありません。
私たちは何か勘違いをさせられてきた。
能力を高めさえすれば、絶対にいい暮し、いい人生が待っているのだと信じ込まされてきたのです。
しかし、どうやらそのようなところには本質はないみたいです。
人生はいかに頼まれごとをするかということに尽きます。
私の場合は、年間250回講演を頼まれている。
私も含めすべての人がそうなのですけれども、人生はただ頼まれごとの連続で成り立っていく。
その日々の積み重ねだけなのです。