2020.06.10
何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。
運がよくなり、評判がよくなるのです。
これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。
私も他人の悪口をいったことがあります。
不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。
まるで一周回ったかのようです。
そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。
その人と私の関係が悪くなったのです。
それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。
このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、最終的にはすべて自分に還ってくるのです。
偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。
一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。
だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。
じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。
何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、万一の偶然に奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。
もちろん後者でしょう。
このように考えると、自分が他人にしたことが、他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、徳を積んだおかげで自分や家族に不運が来ない方がはるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。
ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。
恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。
もっと重要なことで幸運に恵まれた方がどのくらいよいかわかりません。
何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。