社長のつぶやき

神様を味方に

2020.05.15

新約聖書の中に、キリストが言ったという次の言葉が残されています。

「弱き者は幸いなり。

病める者は幸いなり。

貧しき者は幸いなり。

天国は、彼らのものである」

弱き者、病める者、貧しき者は、社会的に弱者といわれています。

そのような環境にあると、一般的に人は「不幸」と考えてしまいがちです。

PHP研究所の前社長・江口克彦さんが、松下幸之助さんについて書かれた記事に次のような文章があります。

…松下幸之助さんの人生は、その出発点において、決して恵まれたものではありませんでした。

ご存知の方も多いと思いますが、お父さんが米相場に手を出して失敗し、すべての財産を失ってしまいました。

ですから、学校にも行けません。

9歳の時小学校を中退して、大阪の火鉢屋に奉公に出されます。

10人家族は離散してしまいます。

兄弟は次々に結核になり、全員が亡くなっていきます。

松下さんもまた20歳の時に、肺カタルを患い病床に伏します。

こういうことは、私にはどう考えても運が強いとは思えないのです。

むしろ、何て運が悪いのだろうと思ってしまいます。

ところが生前の松下さんは、「いつも自分はとても運が強かった」と言うのです。

「私は学校にほとんど行っていなかったから良かった。

運が強かった。

もし大学でも行っていたら、わからないことを他人に尋ねることはしなかった。

行っていなかったから、わからないことは当たり前、だから簡単に尋ねることができた。

おかげでたくさんの人から良い知恵をもらって、会社を発展させることができた」と言うのです。

「体が弱かったのは良かった。運が強かった」とも言っていました。

「だから人に仕事を思い切り任せ、そして人も育ち、優れた人材になってくれた。

もしわしが健康だったら自分で何もかもやってしまい、人も育たなければ、会社も大きくならなかっただろう」と言うのです。

こういう話を聞くと改めて、松下さんが言う「わしは運が強かった」ということが、どういうことかと考えてしまいます…。

世の中には神様を味方につけることのできる人がいます。

その人たちには同じ共通項があります。

自分の身に降りかかってきた、一般的に「不幸」といわれる出来事を嘆き悲しんだりせず、すべて受け入れているということです。

たとえば私の場合、知的障害を持った子どもをいただきましたが、それを不幸だとは思っていません。

嘆き悲しんだりもしていません。

むしろ今は「もしかしたらこれは私にとって、ラッキーなことだったのではないか?」と思えるようにまでなりました。

そう思えるまでに何年間か、かかりましたが、私はこの子が来てくれたおかげで、本当の人間の価値というものがわかりました。

私は父親から「人間、努力しないやつはばかだ、クズだ」と言われて育ったのですが、障害児であるわが子は、努力はしませんし、頑張ることもありません。

向上心なども持っていません。

しかし、この子がいるだけで温かいのです。

「人間の価値とは、努力することや頑張ることではなくて、その人がそこに存在すると、周りが温かくなり嬉しい、という存在になること」

そんな大切なことを、この子がわたしに教えに来てくれました。

私はこの子にとても感謝しています。

障害児に対して否定的な考え方をする家庭もあると思います。

しかし、私にとっては人生を教えに来てくれた天上界の人ですから、この子に深く感謝をし、尊敬をし、大事にしています。

一般的に見て、障害児の存在を受け入れらえた家庭は、温かくなるようです。

自分たちを不幸とは思わず、障害者と一緒に過ごし触れ合う機会があることで、健常者が刺激されて、だんだん温かい人になっていきます。

「弱者」「不幸」の考え方を変えてみると、人の心の温かさを知ることができるのです。

《神様を味方につけるためには、不幸を嘆かず、まず受け入れることです。》

『「嬉しく楽しく、幸せになってしまう世界」へようこそ』廣済堂出版より