ときには悩んだり、苦しんだりするのは、人生において大切なことです。
いくつもの失敗や間違いを重ねて、人間は学習し成長していくのだから。
なのに、自分の不幸を人のせいにする性格の人っていませんか。
文句の多いタイプの人は、たいがい不満を人のせいにすることが多い。
どうして私ばっかり損をするの。
私はこんなにやっているのに人はわかってくれない…とかね。
そう考えたほうが、自分が楽なのでしょう。
でもね、自分の不幸、不運、不遇をすべて人のせいにしていると、いつまでも延々とそれを繰り返すことになるんですよ。
試しにこれまでの人生、不幸だったことを並べてみてください。
たとえば、中学のときに失恋した、同級生から仲間外れにされた、受験に失敗した、希望の会社に入れなかった、恋人を別の女性にとられた、上司に嫌み味な人がいていじめられた、というような出来事があったとする。
こういういくつかの不幸の責任を、人になすりつけていないでしょうか。
これらの出来事の共通項は、いつもある人がそこにいたということなんです。
ある人というのは他でもない自分です。
そうすると、客観的に見ても誰が悪いかはっきりしてくる。
元凶は自分なんですね。
推理小説風に考えてみましょうか。
もしも連続殺人事件が起きて、いつも現場に登場する人がいたら、その人は絶対に犯人でしょう。
これまでの人生で10くらい不幸な体験があるとしたら、それらをすべて10人の犯人のせいにしても、そのときの共犯者を探してみると必ず自分がいるんです。
不幸の原因は、地面に伸びる自分の影のようなもので、人のせいにしても影はずっとついてきます。
だったら、自分のなかで不幸の要因を探さないといけない。
なぜいつも自分だけつらい目に遭うのか、なぜいつも自分の周囲でトラブルが起きるのか、を見つけ出さないといけないんです。
たとえば、口は災いのもと、というけれど、喋らなくていいことを喋ったことから端を発していることもある。
だったら、今度から余計なことは喋るのをやめようとか、そういう反省が出てくると思うんです。
だとすると、過去を振り返ってみて、いやなことが多ければ多いほど原因を解明するためのデータがたくさんあるのだから。
データを分析してみれば、そのなかから愚かな過ちを犯さない術がきっと見つかります。
だいたい自分の不幸を人のせいにしても、みんな個々の人生を生きてきた人たちです。
とくに両親、先輩、会社の上司といった年配の人に、いまさらあなたのこういう性格を直してほしいと望むわけにいかないでしょう。
そうすると、自分が変わらない限り状態は変わらない。
その人たちとの関係のなかで、いつかまた同じ問題が生じてくるんです。
自分の不幸は人のせいにするより、自分のせいにしたほうがいい。
自分が直せるところを直したほうが、幸せになる確率はずっと高いはずです。
『君はそんなに弱くない (幻冬舎文庫)』秋元康氏