人は膨大な量の質問を、日々自分自身に対して投げかけています。
たとえば、朝起きます。
即座に自分に質問する。
「今日は何を着ていこう?」
それに対する答えが生まれます。
「そうだ、大事な会議があるんだ。スーツをしっかり着て行かないと」
次の質問が生じます。
「ネクタイはどれにしよう?」
「インパクトを与えられるように赤にするか」
こんな具合です。
どうやら人の思考のかなりの部分は、質問によって構成されているようです。
「明日からの出張は気が重いなあ」
ただの独白に思えるつぶやきも、実はその前に、「明日からの出張はどんなふうだろう?」という質問が存在しています。
質問に対する答えとして、思いが言葉になり内側で発せられるわけです。
これは至極普通のことですが、問題は、人が自分に投げかけている質問は、かなり無意識で、自分では認識しにくいということです。
「明日からの出張はどんなふうだろう?」という質問を、少し重いトーンで知らず知らずの内に自身に投げかける。
結果として、「明日の出張は気が重いなあ」というつぶやきが内側に生まれ、そのつぶやきによって実際に思い気分が引き起こされエネルギーが下がる、ということが起きるわけです。
もし、最初の質問を意図して、
「明日からの出張でどんな成果を自分は上げたいだろうか?」
「明日からの出張で効率よく結果を出すためにはどんな準備が必要だろうか?」
「明日からの出張で自分は何を学ぶことができるだろうか?」
等に変えることができたらどうでしょうか?
自分の中に生まれる答えは間違いなく変わるはずです。
そして、その答えから導き出される行動も。
さて、自分に対する質問にはさまざまな種類がありそうですが、大きく分けてしまえば2種類しかありません。
「学習の質問」と「批判者の質問」です。
簡単に言ってしまえば、世の中には、どんな状況に置かれても「どうしたらこのことから学べるだろうか」と常に自分に質問している人と、「どうしてこうなったんだ?」と質問している人がいるということです。
そして、前者は内側に常に肯定的な感情を宿し、どんどん新しいことを学んでいくに対して、後者は否定的な感情をわざわざ自らの中に自らで作り出し、新たな学びをなかなか起こすことができません。
最近欧米のマネジメント関係の書籍や論文を読んでいると、「経験が重要視されすぎている」「俊敏に学習できることこそが大事である」という表現によくあたります。
リーダーにとって経験が大事なのは言うまでもないけれど、これだけ変化の激しい中では、学習しつづける者こそが、リーダーとして意味のある未来を語り、チーム組織を束ね、方向性を持って率いることができる、ということです。
言い換えれば、リーダーとしての成功を予測するための最も的中率の高いファクターが、学習の俊敏性である、というわけです。
そして、どのような条件下に置かれても、俊敏に学習しつづけられる人とは、要するに、自分の中で「学習者への質問」をしつづけている人であるということです。