2020.04.21
小林正観さんは「使命」についてこう語ってます。
『「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、辛い、悲しい、嫌だ、嫌いだ、疲れた」という言葉を言わなくなって、三ヵ月から半年くらい経つと、突然に頼まれごとが始まります。
頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。
頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。
「適当に」というのは、『適度に』ということです。
「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。
頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。
「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。
それを「立命」の瞬間といいます。』(日々の暮らしを楽にする)より
梯谷氏のいう「人生が自分に何を求めているのかを問う」とは、まさに「使命」のこと。
「自分がこうしたい」とか「あれをやりたい」というような夢や目標などではなく、「まわりから求められていること」、これが「使命」。
「使命」とは使われる命のこと。
それは、天に使われるということで、天命ともいう。
天に使われる人は、人の役に立つことや、喜ばれることをする人。
人から頼まれない人は、頼まれにくい顔をしている。
「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、辛い、悲しい、嫌だ、嫌いだ、疲れた」というような言葉を始終いう人は、頼まれにくい顔になる。
頼まれたことは、気負わず、淡々とやる。
すると、自分の使命や天命が見えてくる。