2020.04.11
中国の古典、「大学」の中に次のような言葉があります。
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」
(心、ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず)
心がここになくて、うわのそらだったら、何を見てもそれが見えないし、何を聞いても聞こえないし、何を食べてもその味がわからない。
意識がそこにいっていないからだ。
多くの人は見たいと欲するものしか見ない。
心がここにないということは、余裕がないということ。
余裕がないと、目の前のことに忙殺されてしまい、ものすごいチャンスが目の前を通り過ぎても見過ごしてしまう。
余裕がある人は、そこにどっぷり浸からず、物事を色々な角度から眺めることができる。
同時に、短期的にではなく長期的にものを見ることもできる。
また、枝葉ではなく、本質でものを見ることもできる。