2020.02.18
聴くことは本当に難しい。
だから仏教では耳が大きい、というだけで六道を越えさせるんですね。
いわゆる羅漢(らかん)さまです。
声聞・縁覚を併せて「羅漢さま」と呼ぶんですが、これは聴くことに優れていれば大概の悪癖は許してしまう、ということです。
将棋好きとか酒好きとか、いろんな羅漢さんがいるでしょ。
聴くことにさえ優れていれば、全てOKなんですね。
因みに羅漢さまの元になった「阿羅漢」つまり「アルハット」という言葉は、当初は「お悟りを開いた人」という意味だったんですね。
しかし時代が下がるにつれてお釈迦さま一人の立場が上昇し、アルハットという言葉の意味そのものが相対的に下降したんです。
『「聴く」というのはどういうことか?
会話しながら、我々は次の自分の科白(せりふ)を考えていたり、あるいは相手の発言に対する批評を思い浮かべたりすることが多い。
そんなことをせずにただ相手の言葉に耳を傾けるわけですが、これがけっこう難しい。
大抵、途中で自分の価値判断を加えてしまいますね。
しかもその結論は決まっています。
自分が正しくて相手がおかしい、ということです。
まず、そうした価値判断を放棄することですね。
前提として、自分も相手も違った光を発して輝くわけですから、無駄な比較や批判をしない、と思ってみてはどうでしょう?
《何事も 言うべきことは なかりけり 問わで答うる松風の音》
松風の音を聴くようなつもりで、というと奇妙ですが、とにかく素直に聴いてみるんです。
どうも私たちが受けてきた教育は、努力を重ねてだんだん完璧に近づいていく、という物語だった気がするんですよ。
そして私たちは、他人よりも自分のほうが完璧に近いと思い込みやすい。』
人は、自分の意見を言いたくて仕方がない生き物だ。
人に認めてもらいたい、自分が正しいと分かって欲しいと常に思っている。
その結果、人の話を聴かずに、しゃべりたくてウズウズしてしまう。
ことほどさように、聴くことには「自律」が必要だ。
自律とは、自分のきままを押さえ、自分の立てた行動規範に従って正しく自己コントロールすること。
聴くことに優れているだけで羅漢さまになれるという。