純君
2019.09.27
居酒屋の仕込みをしていると、いつものように、「これ買って」と干物(ひもの)を持った5歳の純君がやってくる。
この子の母親は酒びたりの生活で、生計の足しにと、息子を使い、飲食店に干物売りをさせていた。
私はその都度買ってやった。
純君は保育園から帰ると、店に遊びにくるようになり、焼き鳥を串にさすのを手伝うようになった。
3年も経つと、簡単な料理も覚えて“アルバイト”になった。
もちろん、正規に雇ったのではなく、彼の生活を配慮してのことである。
片親で育った純君は、私を父のように慕ってくれていた。
中学を卒業し、私の店で働いた。
そんなとき、突然、純君の母が死んだ。
他人から見れば、けっしてほめられた母ではなかったが、たったひとりの肉親だった。
少年はひとりぼっちになった。
純君は22歳のとき、都会で修行したいと旅に出た。
そして、2年後に帰郷し、独立した。
開店の案内状と電気毛布が届いた。
私は手紙を出した。
「人情酒場『人情劇場』開店おめでとう。
5歳の君が母に怒鳴られ、私の店に干物を売りにきて買ってやった。そんな人間の心を忘れない店の名前をつけたね…」
当日、店が終わってから二人きりになり、君は私の胸にすがって泣きじゃくった。
人生劇場の紫紺(しこん)の暖簾(のれん)が、静かに揺れていた。

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