ゆとりある武士を誉め讃えよ
2019.09.10
豊臣秀吉は貧しい農民の子供でありながら、織田家の重臣として出世を重ね、天下人にまで上りつめた戦国大名。
戦において優れた才能を発揮した秀吉は、1590年、北条家の居城である小田原城を攻撃。
戦が長引くなか、6万6000人程度の北条に対して、20万以上の兵を誇った豊臣方には余裕があり、芸事にうつつをぬかす大名や、土を耕して青菜を植えさせている大名まで現れた。
たるんだ連中に厳罰を、と側近が秀吉に報告すると、秀吉はこう言った。
「あの連中は、ゆとりをもって戦場に臨んでいるのだ。立派なものだ」
秀吉は戦場で殺気立つことは一度もなく、秀吉の陣営はいつも笑い声が絶えなかったという。
秀吉は合戦一途になることをいましめながら、こう言った。
「戦場でゆとりある武士を誉め讃えよ」
一方で、秀吉は戦場で失敗した武士への罰は厳しかった。
すべては結果、なんですね。

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