2022.09.12
人は、亡くなって、あの世に持っていけるものが2つあると言います。
一つは、人に与えた喜び。
もう一つは、人に与えた悲しみ。
どんなに大きな家も、高級な車も、毎日愛用している物も、社会的な肩書きや、地位や名誉も、あの世には持っていけません。
しかし、人に与えた喜びや悲しみは、人々の心に残ります。
そして、その人を思い出してくれる人が一人でもいる限り、その人は生き続けているのです。
仏教では、あの世に行くときは、「浄玻璃(じょうはり)の鏡」の前に立つといいます。
相田みつをさんのこんな詩があります。
「浄玻璃の鏡の前に立つまでは
秘めておきたし
あのこともこのことも」
浄玻璃の鏡の前に立つと、生まれてから死ぬまでの間に、人に与えた喜びと、人に与えた悲しみが、走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中で再現されるといいます。
人に与えた悲しみが多ければ、身もだえするような苦しさとなり、深い悔悟の念にかられ、針のむしろとなります。
その状態を地獄といいます。
また、人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いてきて、笑顔がこぼれ、うれしくて、楽しくて仕方なくなるそうです。
それを天国といいます。
多くの人に喜びを与えることができる人でありたいと思います。