「なんでこんな家に生まれてしまったんだろう」と嘆く人がいます。
「なんでこんな容姿に生まれたんだろう」と思う人もいるでしょう。
私流に言えば、それも「あなたが選んできたんですよ」ということになります。
自分が置かれた環境や状況を嘆きたくなることは誰にでもあります。
生まれたときはそうだとしても、その状況を一生握りしめていることはないんです。
麻雀だって、最初にくるのはどうしようもない「手」かもしれない。
でもこの牌でずーっと行け、と言っているわけじゃありません。
どんなゲームでも代わりばんこに順番が回ってきます。
そのとき自分の「手」を変えたらいい。
どれを捨てて、どれを拾うかはその人の自由です。
もっと言えば、順番がこなくたって、変えていい。
ゲームは代わりばんこだけれど、人生は代わりばんこじゃない。
でも30歳になっても、40歳になっても、後生大事にその牌を握りしめていて、「変えたら?」 と言われているのに、どうしようもない「手」を持ち続けていると、どうしようもない人生になるんです。
どんな「手」がきても、ずっとそのままじゃないとダメだと勝手に自分が思い込んでいるから変えられない。
でも本当はいくらでも変えられます。
変えられるから、人生はおもしろい。
ひどければひどいなりにおもしろいんです。
だって偉人伝なんかを読むと、ひどい「手」から始まる人のほうが多いでしょう?
野口英世は福島県のひどく貧しい農家に生まれて、幼いころ手に大火傷を負って、左手が不自由だったんです。
それでも努力して、世界的な学者になって、医学の発展に貢献しました。
ひどく貧乏だったり、体が弱かったり、最悪の環境から始まって、あがっていくから、人生はおもしろい。
自分の「手」、つまり「生き方」を変えないで、「さだめ」だけ変えようたって無理な話です。
自分の人生の舵はいつも自分が握っている。
右に行きたければ右に舵をとるし、左に行きたければ左に舵をとる。
間違って、南極のほうに行っちゃうこともあるでしょう。
だったら途中で舵の方向を変えればいいんです。
ハワイに向かっているのに、ペンギンが出てきたらおかしいでしょう?
流氷が流れてきておかしいから、「これは間違った。舵の方向を変えよう」でいいんです。
だって、舵を握っているのはあなたなんだから。
間違いはある。
だけど、自分の人生の舵を離しちゃいけないんです。
『変な人が書いた 人生の哲学 (PHP文庫)』 斎藤一人