2022.07.15
《知るだけでは意味がない、反省し実行せよ》 稲盛 和夫
みなさんに同じようなことを今後も言うと思うのです。
それを「ああ塾長、それはこの前聴いたわ」と思ってはいけません。
こういうものは、聴いただけでは意味がないのです。
繰り返し思い返して、実行に移さなければ一銭にもなりません。
なぜ、私がそのことに気がついたかといいますと、それは自分自身のことだからです。
自分で偉そうなことを言ったり、勉強したりしても、 すぐにコロッと忘れてしまう。
忘れてしまいますから、 たまに思い出して、こう言いましても、私の生きている生きざまとは違うケースがあるのです。
私の場合、生きざまと、言っていることとがあまり乖離していないために、他の人から若干尊敬されていると思うのですね。
普通はそうではないのです。
たとえば有名な人でも 講演をするときの話の内容と、実際にその人がやっていることが違うことがあります。
きれいなことを言っているのに、全然違うガメツイことをやっていたりする。
その人だって、よくありたい、と思っているのです。
それが、その瞬間に思っているだけであって、日常は コロッと忘れてしまっているから、ガメツイことをしておられるわけです。
だから私はこう言っています。「反省のある人生でなければいけません」と。
私の場合は、実は毎朝反省をするのです。
それが習慣づいているものですから、何とかまだ救われている のです。
お坊さんでも、たしかに若い頃は修行をした偉い方もおられます。
相当な修行をして悟りをひらいたお坊さんもおられますが、そこから努力をしなかったら、 人間というのは元の木阿弥です。
だから、立派なお坊さんであったであろうに、年がいって老醜をさらすようなお坊さんはいくらでもおられます。
放っておいたら魂の周囲にもろもろ、芥(ごもく)がつきますから、しょっちゅう魂を磨いておかなければダメなのです。
つまり、魂を磨き続けるということが“反省”であり、人生であるべきなのです。