2022.06.27
批判する人は自分の言葉に責任を取らないことを忘れないでください。
ある人が、「評論家がご機嫌の悪い評論をしたのは、前の晩、奥さんと喧嘩したからかもしれないと思うべきだ」と言っています。
人を批判してばかりいる人は、しょせんその程度なのでしょうね。
他人は何でも批判します。
それによって自分の考えを変えたり、迷ったりするのは 馬鹿馬鹿しいことなのです。
夏目漱石を批判する人もいます。漱石は円覚寺の釈宗演(しゃくそうえん)老師に何日か参禅し、公案の見解(答え)を示しますが、「だめだ」とあっさり突き返されるのです。
「文才が あっても、禅ではまるでだめだった。その程度の人物だったのかね」というのです。
一方、漱石は作家として偉大な仕事をし、芥川龍之介、寺田寅彦、阿部次郎、内田百閒など多くの逸材を育てました。
批判はまったくの的はずれだとしか思えません。
何をしても批判されます。
だからといって表現を自己抑制しては、生きている意味がありません。
本当にやりたいことをやることが大事です。
人はやったことのみで評価されます。
よい仕事は必ず認められ、歴史に刻まれます。
仕事や作品は永遠の命を持っていて、批判を超えるのです。
私は他人の意見を非常に気にするほうでした。
実は今でもそうです。
冒頭の「どっちにしたって批判される」という言葉は、心の支えになります。
ブッダもこう述べています。
「勝つものは恨みを受く 負くる者は夜も眠れず 勝つと負くるを離るる者は 寝ても覚めても安らかなり」(『法句経』)
ある人が俳句の評論家に「自分の句だ」と句を見せたところ、めちゃくちゃに批判されました。
「実は松尾芭蕉の句なんですよ」と明かすと、評論家はしばらく黙ったあと、「そういえば、芭蕉らしく句に気品がある」と述べたということです。