車内に交通安全のお守りをたくさんぶら下げている車ほど、事故に遭いやすいという統計があります。
もちろん、単に視界が遮られたり、目の前でブラブラしているものがあるために飛び出しなどに敏感に対処できなくなったりするわけで、3次元的な原因もあるでしょうが、お守りは、事故に遭うことを恐れ、心配しているから持つものです。
それが運転中に視界に入ると、自分の潜在意識に訴えることになり、ドライブを楽しむどころか、まさに恐れていた事故に遭うことになるのかもしれません。
心配するのは損なのです。
私のところに宇宙から来たメッセージで、「意識の密度は、現象の密度である」というのがあります。
このメッセージによると、楽しいほうに意識を向けていると、その現象が起きやすくなるそうなのです。
例えば、こういうことです。
夕立が降った後に、3回に1回くらいは虹が出 ます。
そのとき、「わぁー、虹が出てうれしい、きれいだ」と喜ぶAさんは、 虹への意識の密度が高まっている。
それは、再びAさんが虹を見る確率が高 まったということなのです。
次にBさん。
Bさんは、頭の上に虹が出ていても、下ばかり向いていて、虹に気がつかない人です。
それからCさん。
Cさんは、頭上の虹に気がつきましたが、チラッと見ただけ。
喜ぶことなく、そのまま歩き続けた。
神様が、この3人に1分ずつ虹を見せる予定だったとします。
ところが、Bさんは虹に見向きもしないので、この1分をAさんの頭上に持っていく。
さらに、Cさんもチラッと1秒は見たけれど喜ばなかったので、この残りの59秒もAさんの頭上に持っていきます。
けっきょくAさんは、本来は1分だったのに、2分59秒も虹を見られることになります。
身の回りにうれしい、楽しい、幸せなことを起こしたいと思ったら、ただひたすら喜んで、うれしがって、幸せだ、ツイてる、と思うこと。
そうすると神様は、人間を喜ばせたくてしょうがない存在なので、喜べば喜ぶほど、もっと喜ばせてくれる。
しかし逆に、何の感動も喜びもないと、「じゃあ、この分は喜ぶ人のところへ持っていこう」ということになります。
喜び方の達人に対して、神様は、喜びをあげたくなるようだということです。
右肩、右腰、右ひざの3カ所に痛みのあるかたがいました。
そのかたは「今まで、痛いところにばかり関心が向いていた。
これから、痛くないところに関心を持ったら、どうなるか」と思ったそうです。
そのかたは気功師だったので、体の部位の名前を300も挙げられた。
そして、その全部に「ありがとう」と言っていたら、3カ所の痛みはすべて消えていました。
「私の周りには、感じのいい人ばかり集まっている」と思ったとする。
そういう人の見方をしていれば、今後も実際にその人の周りには、「感じのいい人」 が多く集まってくる。
反対に目の前の人に対して「この人は感じ悪い」とあらさがしをしながら人を見ている人は、自分の周りにそういう人が集まってくる。
鏡を見るとき、自分の顔を見ながら「ここもシワが寄っている、ここも老化している」と思っていると、老化という意識の密度=現象の密度となる。
つまり老化の進行が早まる。
「ここも若々しい、あそこも若々しい」と言っていくと、若々しいところに意識が集まるので、若々しくなるということです。
この法則は、あらゆることに応用できるようです。 小林正観