2022.02.12
江原啓之氏はあの世とは心象風景の世界で、自分の心が投影される感性の世界だという。
デパートで買い物するのが生きがいの人は、あの世でもショッピングをしている。
仕事がアイデンティティだと思っている人は、あの世でも働いて、お金を得ている。
政治家も、宗教家も同じで、あの世でも演説をしたり、宗教を説いている。
それらを「執着」といい、こだわり、意地や、どうしてもこれでなければ嫌だと思ったり、これしかないと決めつけたりすること。
しかし、想念の世界だから、お金もいらないし、仕事も、宗教も、関係ない世界。
だから、あの世で必要なのが執着を捨てること。
執着を捨てるのに長くかかる人もいれば、さっと頭を切りかえられる人もいる。
そして、あの世では、例えば、お金に執着がある人は、お金に執着している人が集まる世界に行くという。
人間関係や生き方の執着、すなわち、悪口や愚痴や文句ばかり言う人も、不平不満を言う人も、みんな同じような人が集まる世界に行く。
だとしたら、我々が生きている間に執着を少しずつ捨てることをした方がいい。
特に、年配になればなるほど、執着はやっかいなものになる。
物も、お金も、家も、土地も、仕事も、家族も、友人も、みんなあの世へ持っていくことはできないからだ。
それが、執着。
斎藤一人さんは、あの世に行くとき聞かれることが二つあるという。
それが、「あなたは人生を楽しんだか」と「人に親切にしたか」。
我々は、人に必要とされるからこそ、生きている。
必要とされる人は、「人に親切にした人」であり、「自分の人生を楽しんでいる人」。
自分の人生を楽しんでいる人は、まわりを明るく照らす。
人生はあっというまのドラマのようなもの。