2022.02.11
あきらめたからこそ手にできる夢もあります。
プロ野球選手になることを選べば、プロサッカー選手になることも、フィギュアスケートでオリンピックに出ることもあきらめなければなりません。
掛け持ちでは労力が分散し、 一流にはなれないでしょう。
この人と結婚することを選べば、あの人との結婚はあきらめなければなりません。
日本では重婚は法律で禁止されているし、掛け持ちするとむしろ大変なことになりそうです。
二兎を追って二兎とも得られれば、もちろんそれが理想。
私もさまざまな場面で“二段 構え”を意識していますが、二兎を追う者は一兎をも得ずということは、現実にはやはり多いような気がします。
人生は選択の連続で、その積み重ねで今があります。
もしあそこで違う選択をしていたら?
違う大学に進んでいたら?
違う会社に就職していたら?
あの会社に転職していたら?
別の人と結婚していたら?
そんな大きな決断だけでなく、どの本を読むか、誰に会うか、何を勉強するか、何にお金を投じるか、あの人からの誘いを受ける(断る)かといった小さな決断によっても、
「別の道を選んでいたら、違う人生になっていたかもしれない」と思うことはたくさんあります。
私自身、違う高校に行っていたら?
別の大学を選んでいたら?
あの会社に就職して いたら?
もしかすると、今のような自由な生き方をしていなかったかもしれません。
違う人生を生きることも試すこともできませんが、でも選んだ道の軌道修正はできるし、 今から別の道を選ぶことはできます。
もし今が不満であれば、これからの選択を適切にすればいいだけのこと。
そのためには、今やっている何かをあきらめなければなりません。
あきらめるとは「幸せに向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」ことなのでしょう。
それには「挫折」や「敗北」によるあきらめ方ではなく、「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きなあきらめ方が必要です。