2022.02.02
あるとき百丈というお坊さんが説法をしていたら、一人の老人がやって来て、いつ も熱心に話を聴いていた。
あるとき、みんなが帰っても帰らない。
そこで、百丈が質問をするわけです。
「一体、あなたは誰か」と。
すると老人は言いました。
「自分は人間ではない。昔、この山に寺の住職として住んでいたものだ。
あるとき、修行者が私に問うた。
『和尚さん、大修行した人は因果律に落ちますか、 落ちませんか?』と。
すかさず私は答えた。
『不落因果、大修業した人間は因果律を飛び越えているから、因果律に落ちることはない』と。
そうしたら、たちまちにして野狐になってしまい、五百回も生まれ変わって今日に至ってしまった。
あのとき私は、本当はどう答えたらよかったのでしょうか?
どうか正しい見解を教えていただきたい」
そう言って、百丈に同じ問いを投げかけるんです。
「大修行した人は因果律に落ちるか、落ちないか?」と。
そこで百丈は即座に答えた。
「不昧因果」
すると、それを聞いた老人は一瞬にして悟った。
不昧因果とはどういうことでしょうか?
「不昧」というのは「くらまさず」という意味です。
だから、これは「因果の法則をくらましてはいけない」。
要するに、はっきりさせることだ、といっているわけです。
この言葉を聞いた老人は、野狐の身を脱することができた。
このあと百丈は裏山に死んだ野狐を見つけて、手厚く葬るんですね。
因果の法則は誰も飛び越えることができない。