2022.01.28
頼まれごとは二つある。
一つは人からの「頼まれごと」。
もう一つは神さまからの「頼まれごと」。
神さまからの「頼まれごと」とは、「すまないが、あなたはこの役をやってほしい」と頼まれること。
人生は、神さまのつくったシナリオ通りに動いている演劇のようなもの。
ある人は、「会社の社長」や「お金持ち」の役で、またある人は、「サラリーマン」や、「芸術家」、はたまた、「病人」、「貧乏」、という役だったりする。
その役という、神さまからの頼まれごとを通じて、愚痴や不平不満を言わず、人生を立派に演じ切る。
目の前の一瞬一瞬を懸命に生き、人に喜んでもらう。
それを「一隅を照らす」という。
伊與田覺氏は「一隅を照らす」についてこう語っている。
「古人曰く、径寸(けいすん)十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり、と」
と、伝教大師(最澄)はおっしゃっている。
直径一寸もあるような珠十枚が国宝なのではなく、世の一隅に光を与え照らすものが国宝である、と。
まわりの人に感謝をし、よき仲間に囲まれる「喜ばれる存在」になること。
「喜ばれる存在」とは、一隅を照らす人。
「一隅を照らすもので私はありたい
私の受け持つ一隅が
どんなに小さいみじめな
はかないものであっても
悪びれず
ひるまず
いつもほのかに
照らして行きたい」