小林正観さんは「なぜ《ありがとう》と言われると嬉しいのか」について本書の中でこう述べています。
『一人では生活できない以上、人は「人間」として生きていくほかはありません。
人の間に生きているから「人間」。
この「人間」として生きるということは、取りも直さず、自分のために生きることではなく、ほかに存在するもののために生きるということです。
それは、人間社会の中で自分が「いかに喜ばれる存在になるか」ということにほかなり ません。
「私」がどこまでいくか、どのような人間になるか、ではなく、いかに喜ばれる存在になるか、ということに尽きます。
「いかに喜ばれる存在になるか」というのは少し哲学的な表現ですが、これを平明な言い 方に直せば「いかに頼まれやすい人になるか」になります。
つまり、人の間に生きている「人間」としては、自分がいかに目標に向かって歩み、それを達成するか、ではなく、いかに喜ばれる存在になるかということになるのです。
頼まれやすい人であるというのは、喜ばれる存在であるということにほかなりません。
頼まれたことをやってあげたとき、その相手はニッコリ笑って「ありがとう」と言ってくれるに違いありません。
そのときにこそ、人間の本当の「存在の喜び」が湧いてきます。
「喜ばれること=人間の最も根源的な幸せ」。
そういう幸せを感じるように私たちの心に はプログラムがセットされているようです。
ニッコリ笑って「ありがとう」と言われたとき、私たちは本当にこの上ない幸せを感じるようにできています。
実際にやってみてください。
ニッコリと美しい笑顔で「ありがとう」とお礼を言われたときに、「ああ、生きていてよかった。私はこれをさせていただいてよかった。 実は一番幸せで楽しいのは、私ではないか」と思えるに違いありません。』
「頼まれやすい人」になるということは、実は、「誘われやすい人」になるということでもある。
食事会に誘われる、旅行に誘われる、講演会やコンサートに誘われる…
人は、一緒にいて楽しい人しか誘わないものだ。
「頼まれやすい人」も、この人なら(笑顔で)引き受けてくれる、と思うから頼むのだ。
人は、この世に「喜んでもらう」ために生まれてきた。
だから、誰かが喜んでくれ、「ありがとう」と言ってくれたときが一番うれしい。
自分の存在を認められたからだ。
あなたが、この世にいてくれてよかった、と全面肯定されたということ。
大勢の人に囲まれ、口々に「ありがとう、ありがとう」と言われたらどんな人でも魂が震える。
「ありがとうのシャワー」は、だからこそ、奇跡が起こるのかもしれない。