2021.10.31
神様は喜ばれると嬉しい、という。
たとえば友人たちとドライブに出かけて、夕方に素晴らしい夕焼けに出会ったとする。
それを見て一人は、「わぁ、きれいな夕焼け!」と素直に喜んだ。
逆に、もう一人は、「今日のは、たいした夕焼けじゃないね。前に見たのがもっとすごかった」などとつまらないことを言って、まわりをシュンとさせた。
これは神様でなくて人間も同じで、素直に喜ぶ人の方が好かれるに決まっている。
また、「愛嬌(あいきょう)」がある人と、愛嬌が無い人がいる。
たとえば、愛嬌がある人は、失敗しても憎まれない。
「申し訳ないです」と小さくなって謝っても、「まあ、しょうがないね」と笑って許される。
しかし、反対に愛嬌がなくて「無愛想」な人は、謝ってもなかなか許してもらえない。
本気で謝っていると思われないからだ。
無愛想な人は、ふだんから、そっけなくて、つっけんどんだからだ。
そして、愛嬌がある人はいつも、ニコッとしていて、笑いがある。
それは、まわりを肯定しているということ。
だから、温かい雰囲気になる。
しかし、無愛想な人はいつも、ブスッとしていて、笑いがない。
それは、まわりを否定しているということ。
だから、ヒヤッと冷たい空気が流れる。
仲間内で大声で笑い合えば、すべてを肯定しているということ。
わかりあえているということ。
笑えば神様も喜ぶ。 小林正観