2021.09.02
人生の旅路にも、雨の日あり風の日あり、晴れる日もあれば嵐の日もある。
美しき山あり、断崖を落下する日あり、花咲く日あり散る日あり、氷雪の下で春を待つ日あり、さまざまあって、それぞれによろしいというのである。
すべてが 人生の道具だてであり、人生の大切な彩りとなっているというのである。
道元禅師はこれを「生死は仏家(ぶっけ)の調度」とおっしゃった。
生老病死、愛憎、損得さまざまの起き伏しのすべてが人生の道具だてであり、そ れがそのまま、お浄土の道具だてでもあって、同じ道具を使って、浄土にするか地獄にするかは道具を使う本人次第だと示される。』
「人生とは何ですか」との問いに今東光氏(天台宗大僧正)はこう答えたという。
「人生というのは冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶしだよ」
余語翠巖(よご・すいがん)老師のこんな言葉もあった。
「人生はな、何もなかれと願うけれど、何もなくてみい。退屈でかなわんぞ。いろいろあるからいいんじゃ」
何も起こらない、のどかで無事な毎日を我々凡夫は望む。
しかしなから、何の問題もなく、困難やトラブルもない人生をおくれる人など誰もいない。
だが時間が経つと、あんなやっかいなことがあったから今がある、と困難やトラブルに感謝できるようになる。
すると、長い人生において、やっかいな出来事が、「人生の味」を引き立てるスパイスだったことに気づく。
たった一度の人生を悔いなく生きるために大切なこと より