2021.08.18
「一生燃焼 一生感動 一生不悟(ふご)」 (相田 みつを)
悟りを得られなくてもよいから、あの世に行く直前まで、熱くなって燃え、どんな小さなことにも感動する人生。
我々は、いくつになっても燃えることが必要です。
燃えなくなった時が、生を終えるとき。
「燃焼」について行徳哲男師はこう語ってます。(感奮語録)より
『蘇東坡(そとうば)が師匠の仏印禅師に「仏とはいかなるものか」と問うた。
すると仏印禅師は「仏もまた一個有血的男児」と答えた。
つまり、血の気が多くなったときに仏が出るというのである。
燃えているときには仏になる。
冷めている人間はサタンである。
燃えることが生きることなのである。』
燃えるとは、カーっと頭に血がのぼることであり、血の気が多くなること。
それこそが、仏だという。
その反対に、冷たい人間、血の通っていない人間は悪魔だという。
この世を去る直前まで、熱い心を持って…
自己を丹誠し、感動し、希望を持ち続けることができる人でありたいですね。