2021.08.03
七十歳の女性が、私に次のような質問をしました。
「九十歳になる母が、新築の家に二十年前の型の新しいキッチンを入れたいと言ってきました。
私は最新のシステムキッチンを入れたいのですが、母は頑として譲りません。
どうやって説得したらいいでしょう」
「それは誰の家ですか?」 と私は聞きました。
「母の家です」
「住んでる人は誰ですか?」
「母です」
「キッチンを使うのは誰ですか?」
「母です」
「あなたは関係ないのでは?」
「でも母が亡くなった後は、私がこの家に入る予定なんです」
「ではそうなった時に考えたらいかがですか」
このように、悩みの多くは、「自分の思いどおりにしたいが、できない」ということから生まれます。
自分の思いどおりにできないことが、悩みだと思い込んでいるのです。
その後、同じ女性から再び質問を受けました。
「実は、四十歳になる息子がいるのですが、二週間前に交通事故をおこしました。
どうしたらいいでしょうか」
「四十歳だったら、十分に事故の処理はできますし、判断能力があると思いますが」
「はい、あります」
「でしたら、七十才のあなたが考える必要はないのでは?」
「でも私の息子なんです」
四十歳になる息子さんですから、判断力と知識もあり、一人で行動できるのではないでしょうか。
つまり、この女性が考えたり心配したりする必要はないということです。
「もしかして、あなたは、今まで人間関係が大変だったのではないですか?」 と聞いたところ、その女性は十秒くらい考えてから答えました。
「ありとあらゆる人間関係が大変でした」
「家族関係も隣人関係も友人関係も、すべて大変だったのでは?」
「全部、大変でした」
それもそのはず。
この女性が考えてる悩みや苦しみは、すべて自分の思いどおりにしたいということ。
自分の思いどおりにならないことが問題だ、悩みだと思っています。
世の中には、自分の思いどおりになることは、ほとんどありません。
それにもかかわらず、この女性は自分の思いどおりにすることを一生涯かけてやってきました。
一生涯かけて、自分で悩みを産み落としていたということです。
この女性の二つの質問から、悩み苦しみは自分の思いどおりにしたいだけ、ということが見えてくるのではないでしょうか。
『「今」という生きかた (廣済堂文庫)』 小林正観