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社長のつぶやき

「担がれる人になる」

2020.12.21

私たちは、人の先頭に立って活動していくとか、使命感、正義感をもって生きていきましょう、と今まで教えられてきましたが


その人が中心となって、ボランティア活動なり社会運動なりを使命感を背負ってやっているうちは、なかなかひろがりを見せません。


それをヴィジュアル的に言いますと、牽引車の列車が客車を何十両も引っ張っている状態。


その人自身が牽引車になってしまっているんです。


ところが、牽引車の力が強ければ強いほど、後に続く客車としてついて来る人たちは、自分の動力のモーターを使わなくなってしまう。


逆に、牽引車の力が弱ければ、客車ひとつひとつが自分の持っているモーターを動かしていかなければならないわけです。


その牽引車も、はじめは馬力があって情熱と使命に燃えて好きでやっているうちはまだいいんですけど、


10年、15年、20年と経つと疲れてしまうようで、もうダメだって思ったときは切り替えると良いと思います。


それはどういうことかというと、徐々に牽引車から御神輿(おみこし)の側に変わっていくんです。御神輿というのは、いつも担(かつ)ぎ手がいますよね。


神輿に乗るというのは、「担がれる人になる」ということです。


運ばれていくだけのポジションになるということ。


でも、その人が強い牽引車のときは、その人だけが活躍しているだけなので、なかなか広がりを見せないんだけど、


その人が神輿として担がれるようになればなるほど、担ぎ手が増えていくわけですから、自然に運動は広がっていきます。


でも、神輿というのは自分の意思だけでは動かないし、担ぎ手がいないと動かない。


じゃあ、担がれなかったらどうするんだ、運ばれていかなかったらどうすんだ、って思いますよね。


そこが使命感というところなんですけど、使命感はもっていなくていいんです。


それにもっと言えば、担がれなくてもかまわないわけです。だって、自分が“実践者”として生きていくだけですから。


運動を広げようとか世の中を変えようとか、共鳴者、共感者を増やそうとか、そいう使命感のようなものを背中にズッシリ背負う必要がないんです。


一生懸命、活動を広げようとかいうよりも、「私はバカやってるんですよね」って言って「それがラクで楽しいからこのように生きています」というようなポジションでいると、


担ぎたいと思う人や真似る人がどうも現れてくるみたいです。


本当に、運動なりエネルギーなりを広げたいのだったら、牽引車ではなくて神輿になることの方が良さそうで、何より楽です。


それは、伝えようと生きるのではなくて、ひたすら実践していって、その結果として担がれてしまうということです。


そういう動きは自然に広まると思います。  小林正観

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