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社長のつぶやき

習慣を身につける

2020.07.28

曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明(ますのしゅんみょう)氏より…

私は禅僧ですから、「禅」の話から始めさせていただきましょう。

その修行についてです。

雲水(修行僧)として修行道場に入った当初は、誰もが何もできません。

座禅をするのも、もちろん、はじめてですし、お経をあげたこともない。

まだ、外が暗いうちに起きたこともなければ、掃除などの作務(さむ・日常の作業)を一生懸命にしたこともない、というのが新米雲水の実情。

いわば、“ないない尽くし”の状態から修行に入っていくのです。

ですから、毎日がきつい、つらい、しんどい…ことの連続です。

座禅ひとつをとっても、すぐに足が痛くなりますし、背中も丸まってきます。

日々の食事は質素そのものですから、そこに空腹感も加わって、「これはとてももたない(耐え難い)」という思いに駆られます。

しかし、修行をすることを誓って道場に入っているわけですから、「つらいから、もうやめます!」は許されません。

否も応もなく、その日々がつづきます。

ところが、不思議なもので、日数が経過するにつれて、きつさ、つらさ、しんどさが徐々にやわらいでくるのです。

そして、やがて、足が痛いと感じることもなくなり、正しい姿勢を保てるようになって、座禅が“サマ”になってくる。

そうなるまでの目安はほぼ100日だとされています。

サマになるとは、言葉を換えれば、身につくということです。

座禅の足はこう組む、手はこのかたちにする、姿勢はこう、呼吸は…といちいちチェックしなくても、自然にその姿になれる。

それが身につくということでしょう。

身につくのは、くる日もくる日も、つづけることによって、それ(座禅)をするとこが習慣になった、その結果です。

座禅にかぎったことではありません。

読経も、作務も、食事作法も、寝起きの所作も…なにもかもが、つづけることで習慣化され、身についていくのです。

その意味でいえば、修行は“習慣づくり”である、といういい方ができるかもしれません。

禅僧としてのものの見方、考え方、ふるまい方、暮らし方、ひいては生き方の習慣をつくるのが修行だといっていいのだと思います。

何かを習慣にするための基本は、習慣にするうえでもっとも重要なことは、なんでしょうか。

あまりに当たり前すぎて、「なぁんだ」と思われるかもしれませんが、それは“自分でする”ということです。

座禅でいえば、その達人である高僧が座禅をしている姿を、四方八方から食い入るように見つめ、足の組み方や手のかたちを、ことこまかに分析したところで、自分に座禅の習慣がつくこともありませんし、身につくことなどありようもないのです。

へたでも、拙(まず)くても、自分でする、みずからしてみる。

それ以外に習慣にする方法はありません。

禅にこんな言葉があります。

「即今、当処(とうしょ)、自己」

“そのときその瞬間に”、“自分がいるその場所で”、“するべきことを自分でやる”。

そのことの大切さをいった言葉です。

これは習慣についてもいえることではないか、とわたしは考えています。

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