「天岩戸(あまのいわと)開き」
2019.11.12
小林正観さんの「無敵の生きかた みんなが味方になる」(廣済堂出版)の中にこんな一文がある。
『古事記の中にある「天岩戸(あまのいわと)開き」という話の中に、神様の性質が隠されています。
それは次のような話です。
「須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な行動に怒り、天照大神(あまてらすおおみかみ)は天岩戸に閉じこもってしまいました。
すると、すべてが闇になり、さまざまな禍(わざわい)が生じます。
どうしたらいいものかと八百万(やおよろず)の神が相談し、さまざまな儀式を行いました。
そして、天細女命(あめのうずめのみこと)が天岩戸の前で桶を伏せて踏み鳴らし、踊ることになったのです。
この踊りを見た八百万の神々から、笑いの渦(うず)が巻き起こります。
楽しそうな笑い声を聞いた天照大神は、周りで何が起こっているのかと思い、天岩戸を少し開けて問いました。
そこへ、待ち構えていた天手力男神命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸を開け、世の中に光が差し込むことになったのです」。
この物語では、天照大神は、「泣いてもわめいてもお願いしても、聞いてくれない」ということを教えています。
単なる神話だと思う方もいると思いますが、私にはそうとは思えないのです。
物語をとおし「神様を動かすには、お願いごとをしても駄目なんだ」ということを、私たちに教えて下さっているように思えました。
「自分の人生が思いどおりにいかず、辛いので何とかして下さい」と言っても、神様は聞いてくれません。
「面白がること」「楽しむこと」「幸せに過ごすこと」こそが、神様を動かすために有効な手段らしいのです。』
天岩戸開きにあるように、神さまが一番喜ぶのは、周りが「面白がること」「楽しんでいること」「幸せに過ごしていること」。
だから、お祭りの後には必ず「直来(なおらい)」という、飲食の場がある。
現在では、神事が終わった後の宴会のように捉えられているが、本来は、神と人が同じ食物を味わうということ。