「嬉しい」「悲しい」という色をつけるのは自分
2019.06.01
ある日あなたが、自転車に乗って転んで大怪我をしたとしましょう。
全治一週間のケガを負ってしまって大変だと思うかもしれませんが、それはあなた自身がシナリオに書いてきたこと、すでに決まっていたことなので、特別なことではありません。
その転んでしまったという現象に対して、落ち込むことも、笑って過ごすこともできますし、ただ何も感じず淡々と過ごすこともできます。
その現象をどう受け止めるかは、自分次第ということです。
ほとんどの人は、現象と自分の感情が一体だと思っているかもしれません。
よく、「上司に怒られたので、とても落ち込んでいる」という人がいますが、上司が怒ったことと、自分が落ち込むことは別です。
「上司が怒った」という現象と、悲しい、辛いという感情が別々に存在しています。
もともと、現象そのものに、色はついていません。
私たちが勝手にその現象に感想をつけて、「嬉しい」「悲しい」という色をつけているにすぎません。
目の前の現象に一喜一憂せず、ニコニコと、淡々と、そうなりましたかと捉えていくと、自分が楽になります。
一喜一憂する人には共通点があります。
辛いことがあったからといって、すぐ落ち込んでしまう人がいますが、面白いことに、そのような人は誉められると、すぐに有頂天になるようです。
すぐ落ち込む人は、すぐに有頂天になる。
これはどういうことでしょう。
それは自分自身を人と比べて、他人の評価に一喜一憂しているということ。
つまり、自分自身の考え方や、思想を持っていないということです。
これは幼児性の表れと言えます。
自分自身の生き方や考え方をきちんと持っている人は、人の評価に左右されません。
人と比べることに意味はありません。
私たちは淡々と生きていけばいい。
大事なことは、一喜一憂せずに、ただ受け入れていくということ。
目の前の現象に、「嬉しい」「悲しい」という色をつけるのは自分なのです。 小林 正観