「櫟社(れきしゃ)の散木」
2018.11.12
中国の名著『荘子(そうじ)』に「櫟社(れきしゃ)の散木」という話があります。
その話のポイントは、こうです。
大工の名人が弟子を連れて材木を探す旅に出た。
すると、ある村で神木として尊ばれている巨木に出会った。
弟子がこの木を使おうというと、名人は答えた。
あの木は役に立たなかったからこそ巨木になれたのだ、と。
ほかの木は使いやすい「財あるいは材」になる木だったから、どんどん伐(き)られてしまった。
しかしこの木は曲がっていたりして使いにくい「散木」だったので伐られなかった。
そのおかげで長いあいだ伐られずにすみ、とうとう神木になれたのだ、と。
大器晩成という言葉にも通じ、自分の個性を失わずに伸びた木は「材」とは異なり、
世間的には役に立たなくても世俗の評価を超えた神木になれる可能性があることを、教えるものです。
「無用の用」という教えがある。老子や荘子が説く教えですが、
「一見、役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともある」
ということだが、「この世には無用なものは存在しない」ということ。
それは、仕事とはまったく関係ない、友人たちとの交友だったり、およそ役に立たない趣味だったり
事業も同じで、流行の商品や業態を追いかけたり、
真似したとしても一時(いっとき)はうまくいくが、すぐにダメになるのが世の常です。
誰もが参入するようなメジャーな分野より、人が手掛けない分野、趣味のような珍しい店、
面倒で手間のかかるやり方等々、それらをコツコツと何十年も続けていると、いつか大ブレークすることがあります。
「櫟社の散木」という巨木の教えを、心に深く刻みたい。