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社長のつぶやき

上杉治憲(はるのり・鷹山)

2018.11.11

上杉謙信以来の名門米沢藩は、財政赤字で借金が膨れ、


収入の15万石すべてを返済にまわしても百年以上はかかる状態だった。


明和元(1764)年、ついに藩主上杉重定は、幕府へ版籍を奉還したいと尾張藩主徳川宗勝に相談した。


どうにもやっていけないから、いっそ領地をすべて返上すると前代未聞の話を持ち込んだのだ。


驚いた宗勝は、考え直すように説得したうえで重定を隠居させ、


九州の遠縁の高鍋藩から養子を入れ、藩政改革を進めようとした。


その養子が上杉治憲(はるのり・鷹山)だったのである。


鷹山は改革を進める。だが小藩出身の養子であることから改革方針は軽んじられて、


格式にこだわる家老たちの反対にあう。重臣らの非協力のなか、自ら倹約を徹底した。


粗末な木綿の服を着て、一汁一菜の食事で通した。さらに華美な儀式や慣習を質素にした。


荒地の開墾を行い、漆(うるし)やこうぞなどの特産物の育成をした。


人を派遣して学ばせ、織物や紙すきの技術導入も図った。不要な組織の整理で、藩士たちの無駄な城勤めからの解放を進めた。


手が空いた下級藩士たちは、開墾や特産物の栽培に力を注ぎ、武家の婦人たちは織物や紙漉きに精を出した。


やがて藩内の産物や加工品が藩外や江戸でも売れるようになった。


ようやく財政改革の成果が出そうになってきたとき、武士が百姓町人の真似をするなどもってのほかと、


改革を快く思わない重職7名が連署して改革阻止の行動に出た。


しかし改革に期待を寄せる下級武士団から鷹山は支持され、この改革妨害を乗り切った。


「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」鷹山はこの歌を残している。


アメリカの35代大統領ジョン・F・ケネディは、日本人記者団に尊敬する日本人は誰かと質問されて、上杉鷹山と答えたエピソードがある。


「できない」と諦めるか。

「できる」と考えられるか。


リーダーシップを発揮するうえで、決定的な違いが出る。「できる」という意識に立つ。


この意識は、その人の人格から現れる。上杉鷹山は、幼いころから細井平洲(へいしゅう)という学者について学んだ。


藩主たるもの、どういう考え方と行いをしなければならないかを教わり、人格を磨いた。

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